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PCでnote書くのをやめた話


ここひと月ほど。

「ものを書きたい、note書きたい」

という思いが頭をぐるぐると駆け巡っていた。
日頃考えてるあれやこれやを文章に落としたかった。
noteや書籍で出会うすばらしい文筆家に憧れた。

さらにこの書きたい気持ちにはセットとしてくっついてくる気持ちがあった。

「誰かに読んでほしい、この文章好きだなぁって言われたい」

至って自然な承認欲求。
でもこの気持ちは僕を筆から遠ざけてしまった。

「自分ごときが考えることなんて、すでに誰かが考えたことのあることで、それをもっと素晴らしく伝えている人がいるわけで、そんなものを公開していったい何の意味があるんだ。」

「大して面白い人生を送ってきたわけでなければ、特別な観察眼があるわけでもない。ごくごく平凡な若者の書いたものが周りから受け入れてもらえるものだろうか。」

もっともっと特別でおもしろい文章を書かなければ。
完璧主義のような作用が働いて、僕を筆から遠ざけた。
「いつか書ける」と励ましてくれる自分や、
「書かなくたって生きていける」と、どこか諦めムードながらも優しい自分。
「そうは言っても書きたいんだ」と、憧れを小さく叫ぶ自分。

たくさんの自分が右往左往。
複雑な脳内だったと思う。

そんな中、たまたま短い文章を書いた。
25歳の誕生日を迎えて、
自分の周りの人に感謝を伝えたくなったからだ。
ほんの気持ち、短いメッセージ。

何人かの人から、
「いいこと書くね、すてきな文章だね」
とありがたい言葉をいただいた。

それがたまらなく嬉しかった。
書くことを許された気がした。

少し経って、自然と書けるようになっていた。

以前は、ただ漠然と大きなハードルを設けてしまっていたのだと思う。
みんなに認められたい、みんなに褒められたい、
そういう気持ちは、より鮮やかで深い切り口の思考を、洗練された文章でアウトプットさせたがっていた。
ありがちな話だけれど、より高いものを求めるあまり足元が見えなくなっていたのだと思う。
なんという思い上がり。

そういうわけで、PCでnoteを書くのをやめてみた。
書き始める前に構成を組み立てたり、推敲に推敲を重ねることを一度やめてみた。
カチッと机に向き合って、隣に紙とペンを置いて執筆に取り組むのをやめてみた。

iPhoneから思いの丈をズラーッと書き連ねてみる。
なるべく正直に雑に書く。
うどんを茹でてる間とかバスで待ち合わせ場所に行くまでの間に書く。

そうやって書いたものに1つでもスキがついたら、とても幸せなことではないか。
3本書いて1本でも喜んでもらえたら、うれしいじゃないか。

ぼちぼち書こう。
ぼちぼち雑記。

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