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1.5人でいたい

妙に元気だったのもあって、12月はたくさん人に会った。
今年のうちに会いたい人だとかを頭に思い浮かべながら、いろいろなところに出かけた。

同時に1人の時間も意識的に取るようにしていた。
人と一緒にいるってすごく幸せなことだけれど、
同時にエネルギーも使ってしまう。

この種のエネルギーがそんなに多い方ではないので、しばしば枯渇して、1人ベットで泥のような時間を過ごす。

泥のような時間が悪いわけではなく、
遭遇してしまうのは仕方がないことだとは思っているのだけれど、
お腹は痛かったりするし、お肌は荒れるし、気分も落ち込むので、できれば避けたいものではある。

12月のいやに元気な自分をときどき頭上から眺めては、「危ない、バランスバランス」と胸の中で唱える。

(「バランス」はここ1〜2年の口癖になっているので、この話はまたどこかでしたい。)

そうやってなんとかかんとか、
泥化することもなく過ごした12月はとっても幸せだった。

会いたい人に会って、たくさんお話をして、
1人で本読んで、ポケモンして、大喜利る人たちを見まくった12月は幸せだった。

十分に楽しんだから、これからしばらくはもう少し淡々とした日々を過ごしたい。

2021年の年末。
占い師さんから「22年はあなたにとって人生で最も遊ぶ年になります」
と言われた。

それもあってか否かを確かめる術はないけれど、
心思うまま十分に楽しんだ。
バランスに注意しつつも、エネルギーを方々に発散した。

今年は去年に比べると、確かにエネルギーを注ぎたい先もあるので、なんとか燃費よくいきたい。


本題

1.5人でいたい。
1人でも2人でもなく、
1.5人でいる時間を増やしたい。

大人数が疲れる、はしばしば聞くけれど、
それがたとえ2人でも面と向かって会話をするのであればなかなかに疲れる。
そこに強く”相手”を感じると、消耗するものはある。

1人でいると、確かにそう言った類のエネルギーは温存できるのだけれど、
ほら、寂しい。
これは最大の問題。

1人で最強でいられるご機嫌な時もあるのだけれど、1人を寂しく感じることも大いにある。

無限に人といられるほどに、強い社交性があるわけでなく、1人でいられるほどの強さもない。

そんな中途半端な僕は、
その間のような時間を過ごしたい。

AさんとBさんは一緒にいる。
だけれどこの2人にとって2人で一緒にいることはそこまで重要でない。
それぞれに別々に勉強しているし、別々に本を読んでいる。
そばに誰かがいることを思い出したかのように、少し話をして、全く恐れることなく、また沈黙へ戻る。

小中学生時代に経験した、
帰り道、交差点で「帰ったらすぐ〇〇の家集合ね!」というつながり。
家に帰ってから会うのは当たり前で、約束なんて必要ない。
会ってからというもの、僕らはそれぞれ別々にゲームの世界に夢中になる。強敵ボスを倒した時に彼の側から上がる「よし!」歓声と共に、
自分は現実に戻ってきて、「すげえ!」と言って、一緒に勝利を喜ぶ。

気のおけない相手をすぐそばに、
まるで1人でいるみたいに、自分の世界に沈みながら、時折1人じゃないことを確かめ、安堵する。
1人でいるのか2人でいるのかわからないような感覚に包まれる。
自分と相手の境界が融解していく。

時間が来て、別れ、帰り道を歩くのだけれど、
またすぐに一緒にいられる安心感があるからこそ、帰り道だって1.5人でいられる。
といいつつ実際は寂しいかもしれない、わからない…
同棲とかしたらいいのかもしれない。わからない。

とにかくそんな時間を過ごしたい。
友達か恋人かはわからないけれど、そういうつながりを持ちたい。
結局人はどこまで行っても別の存在なので、
時々寂しい時もあるのかもしれないけれど。


昨年はありがとうございました。
noteの皆さんにはたくさんのあたたかなものをいただきました。
2023年もぼちぼちよろしくお願いします。

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