見出し画像

うじうじ

前置きが長い。
本題になかなか入れない。
結論ファーストじゃない。

何か意見を述べる機会を5分間与えられたら、そのうちの3分半を前置きに使って、残りの1分半で慌てて意見を述べる。
(もちろん前置きに3分半かけるような人間が、本題を1分半で話し切ることができるわけもなく大概連載打ち切りの漫画の如く終了を迎える。もしくは情けをかけてもらって少し時間を伸ばしていただく。)

とても非効率な話し方だと思う。
「なんやうじうじ女々しいな、ズバッと結論言えや」
「前置きが長い、結論を教えてくれ」
実際に言われた経験が多いわけではないが、
そう思われてるんだろうなと感じることは多い。
相手の顔を見ると、途中から聞いてないな、と感じることもしばしば。(あくまで主観だけれど)

しばしばとって省くことを求められる、
この長い前置き、うじうじタイムを僕は擁護したい。
必要なんじゃないかと、唱えたい。


なんとなくだけれど、
僕は自分が言わんとする意を、相手が間違って捉えることを酷く恐れている。
伝えたいことが伝わらず、違った解釈をされてしまうと悲しくなる。
(それがなぜかはわからない。やや利己的なのかなとも思う。)

だから事前にあーだこーだと言って、正しく伝わるための準備をするのだと思う。
準備をすると言っても、理路整然と淡々と説明していくわけではなく、いびつでどっぷりした分量のうじうじ。

大概に奪いすぎなほどに相手の時間を奪ってしまう気がするから、申し訳ないという気持ちはある。

けれど、その整理されない文章の羅列にしか表れない情報もある気がする。
それでしか伝わらないものがある気がする。

一度自分の頭の中で分解して、構造化された綺麗な文章ではなく、オンタイムで更新されていく頭の中。
そういうものに触れていたい。

ほら、元々は長ったらしい前置きの重要性について唱えていたのに、話しているうちに構造化される前の生の思考の貴重性について語っている。

まとまらない文章を出すのは怖い。
自分の中でまとまっていないのに、それを人様に聞かせるのは酷く申し訳なく思う。

自分でもそう思うし、人の相談に乗るような場面で「ごめんね、まとまってなくて」という言葉を聞くことは多い。

けれど、僕はそういうまとまっていない生の思考が好きだし、そのぐちゃぐちゃを尊重したい。整い切らないカオスの中にしか存在し得ない、気持ちとかもあると思う。

色々と省かれて整った話を聞いてると「あ、そうなんだ」ってなっちゃうことが多い気がする。


ここまでうじうじ・ぐちゃぐちゃを読み進めてくださったみなさんありがとうございます。
そういうみなさんが好きです。
みなさんの声をよく聞きたいです。
みなさんの声にじっと耳を傾けていられる、
おおらかで懐の深い人間でありたいと常々思います。

どうぞこれからもよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?