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数本ある自分のnoteの中で唯一しばしば思い出すのがこのnote。
この文章を書いてから1年経った。
自分の書いた文章の中には、時間が経つにつれて好きでなくなるものも多い。
書いた時には「素直にかけたな、できればみんなに読んでほしいな」戻った文章でも、しばらく経つとサムネイルを見るだけで恥ずかしくなって、スマホをそっと閉じることも少なくはない。
そんな中で「死ぬこと〜」はほぼほぼ唯一そらでも思い出し、生きる自分を優しく包みこんでくれる。
1年経った今、久しぶりに全文読み返してみた。
読み終えて、今日をほどほどに健やかに生き延びていることをとても有り難く思った。
この1年本当にいろいろなことが起きた。
世界・国内で様々な凄惨な事件が起きて、それは現在進行形である。
死ぬのが当たり前の世界があって、自分は今生きていて、死ぬこと自体をそれなりに受け入れていて、自分とその身の回りのことで精一杯で、それは失礼なことなのか。何かやれることがあるのか。こう考えるのは自然なことなのか。迷いながら言葉を発するのはよくないことなのか。では黙っているのがいいのか。
言語化されかけては消えていく言葉をどうにかこうにか手繰り寄せる。
お腹を出すことでしか進めないこともあるかもしれない。
傷つくことや傷つけることを恐れるあまりに、当たり障りのないことしか話せないようでは、理解も進まなければ、進歩もない。
僕の時間、多くはない体力と気力は、もっと他者との関係性を深めるために使いたい。
どこまでいってもわかりあえない他者をほんの少しでも理解するために使いたい。
この前、近所の八百屋さんで話した。
「未来をいきなければ」
今を生きるのさえ一杯一杯な毎日だけれど、気力と体力があるうちは、ほんの少しでも今より悪くない未来のために微動していたい。
有難いお風呂に入って、おやすみなさい。
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