怪歌感想

2024/1/14@代々木第一体育館で行われた「怪歌」、人生で初めてLIVEというものに参加した自分にとってあまりにも衝撃的なものでした。まだ自分の中で考えがまとまっていないところもありますが、自分の中で思考を整理する意味でも、思ったことを書いてみようと思います。
※花譜及び神椿に関して自身の解釈に基づいて論を展開します。誤っている箇所が必ずあると思います。
※本当は全員に敬称をつけたいのですが、読みやすさの都合泣く泣く敬称略とします。

開演まで

これまで人生でLIVEに来たことがなかったので不安でした。迎えた開場時刻、会場を埋め尽くすほど集まった観測者を見て、そんな不安は吹っ飛びました。あまりにも人が多くてなぜか「国民」という言葉が浮かびました。これほどのファンに愛される花譜、そして自分もその一員であることを実感できて興奮しました。

前半

最高最高最高
LIVEってこんなに楽しいものなのかと感動しました。
開場一体となってペンライト振って、推しが絶唱している。
未観測とかめちゃくちゃ楽しくて自然と笑顔になってました。
雷鳥かわいい。今までで一番好きかも

組曲

思ったよりもはるかによかったです
一人で歌ってくれる方が…とか思ってたんですが、カリオペさんの英語めっちゃかっこよかったし、KTちゃんの曲もテンション上がりました。
あやねるに関しては花譜と声質が違いすぎて音響的にちょっとキンキンしちゃってる感はあって苦労を感じました。
でも変化をつけつつしっかり楽しめる流れだったと思います

BEING KAF

そのままの花譜でいいじゃんと思ってるんですけど、蕾に雷の世界観にはマッチしてるなという不思議な納得感はありました。

扇鳩

特殊歌唱形態の中で一番好き(割とシンプルなのが好きなので)
「扇がたくさんあるんですよ」という斜め上のコメントがめっちゃツボだった。新曲もめっちゃよかったので早くPVでも見たいと思いました。

廻花

衝撃でした。ここまでで楽しさはありつつもかなり体力を消耗していて、ちょっと集中力が欠けてきたなというところで、いきなりぶん殴られたような衝撃がありました。ぶん殴られた衝撃で曲が入ってこないし、ペンライト振る手も弱弱しかったです。
 大前提の話をします。曲めっちゃよかった。声はいつも通り最高だし、歌詞もより魂のパーソナルなところから出たような、ガッツリした世界観よりも親しみを感じるものだったと思います。「転校生」は特に今まさにこのLIVEの様を表しているような気がしました。
この大前提がなかったら自分は廻花を受け入れられなかったと思います。もし曲調がガラッと変わって好みでなかったら、本当に落ち込んだと思います。
 でもシルエットだけで本当によかったと思いました。自分は高校生の花譜から入ってずっとその姿を追ってきたからやっぱり受け入れるのには時間がかかります。
 廻花は花譜自身の新しい一歩を踏み出す意思ですが、それと同時に観測者にも命題を突き付けるものだったと思います。これまで花譜にはバーチャルシンガーとしての存在と、大学に通う一般人としての存在がありました。バーチャル上のエンタメにおける最初の壁である「中の人」という問題を美しく処理していると思います。でもそれでいいんでしょうか。このちょっと曖昧で都合のいい解釈はこのまま永遠に破綻しないものなんでしょうか。LIVEという目を背けられない場所で廻花を目撃させたことは、観測者の首根っこをつかんで「目を背けるな、複数の側面を持つ人一人の人生をしっかりと直視しろ」と言っているようでした。
 花譜が生きている以上常に変化が訪れます。花譜という存在の大きな割合を占めるカンザキさんは神椿を離れました。花譜は20歳になり、10年後に30歳になります。花譜は花譜のまま人生を歩めるのか、廻花の決断にはこの問があったと思います。花譜を一過性のコンテンツではなく人生ととらえて本気で育てようとしている、自分はそう解釈することで廻花を受け入れようと考えています。

廻花を受け入れさせるため、いろんなステップが踏まれてきました。歌う花譜、ラジオの花譜、BEING KAF、そして可不。花譜は不定形で普遍の存在になり、その一つとして廻花に存在する余地を与えた。今世界には廻花を新たなクラスメイトとして受け入れる椅子があるといっていいと思います。


花譜ちゃんは気づけばもう20歳、20歳は大人になるのにちょうどいいタイミングですよね

(終わり)

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