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2023→2024

大晦日も正月もするりと入ってきてするりと通り過ぎていった。
私はというと腰痛も随分治まってきたので散歩に出かけたり本を読んだり、年末年始でスーパーが閉店していることに気づかずちょっとした食糧難に陥ったりしていた。食事を抜いたり千切りキャベツに魔改造を施してなんとか凌いだ。
別にコンビニに行けば食料は手に入るのだけれど、そこまでする必要にも迫られなかったのでささやかな空腹と共に年を越した。

去年の始めにも一年の総括らしきものをやっていたので、今年も倣うことにする。一応、去年の記事も貼っておく。

これまでの数年間に比べれば去年はそれなりに密度の高い一年だったと思う。
二月くらいに沖縄をぶらぶらして、四月に野宿をしてその翌月には徳島で農業をしていた。六月は愛媛の旅館で働いたし、七月には家族と上手くいかなくなって故郷を離れ縁もゆかりもない東海の地で暮らし始めた。それからすぐに岐阜のビニールハウスで蒸し焼きになりながらトマトをもぎり、それを終えると次は別の農場でバイトを始めた。

ほとんど動きの無かったここ数年のことを考えると、去年はとにかく「移動」をした。それまでがひたすらに引きこもって本を読み、心とか精神的な何かを移動させることに注力していたのに対し、去年は物理的に体をあちらこちらへ移動させていた。
その分疲れはしたけれど、現在を含め今後どう生きていきたいか、という問いに対してそれなりの展望は得られたように思う。
生きる方法に関して好意的な選択肢を増やせた。


去年とこれまでの間に起きた最大の変化は、やはり生活の中に労働を挟むようになったことだ。
私はずっと、哲学や思想の本を引っ張ってきては偉そうな御託を並べては働かない自分を正当化しようと躍起になっていたのだけれど、そこにある正しいとか正しくないといった二元論的なものの見方は根本的に個人の感覚に依存するものであり、絶対的な境界がどこにあるのか自分でも分からなくなってしまった。

生きる上で必要なこととそうでないこと、大事にすべきこととそうでないこと、幸せを感じることとそうでないこと、みたいな周囲の物事に対して適切な距離を取りつつ、個人的な境界線を引きなおす作業をする方がずっと建設的であるように思う。例えそこに労働が発生するとしても。

もちろん、働くのは好きではないし、たぶん今後も好きになることは無いと思う。現に労働は生活に必要最低限のレベルでしかこなしていない。
ただ、現状死ぬ勇気も無いのならとりあえずは嫌でも生活を組み立てていかなくてはならない。
月八万程度の収入で生活を支えながら、また色々実験してみようと思う。


あとは、これまで割と苦手だったSNSを使うようにもなった。
といってもnoteとTwitterくらいのもので、こうして書いた文章や散歩の写真を上げるのが精いっぱいだ。
それでもなんだかんだ見たり読んだり、反応を示してくれている人もいるわけで、それはとても嬉しい。
相手が私の行為や文章に対してどういった感想を持つかはコントロールできないけれど、不快な思いをさせるようなことや無責任なことはなるべく書かないようにしていきたい。


今年はできればいろんな場所に出かけて、いろんなものを見聞きして、そこで得たものを自分の言葉にできればいいと思う。
まぁ、毎年そう思っているのだけれど。

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