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終わる縁に確かな灯を!

散歩:雨天欠航。

昨日、仲の良かった同僚のSさんが退職した。

2月中に辞めるとは聞いていたのだけれど、シフトの都合でなかなか顔を合わせる機会がなく、久しぶりに会った「僕、今日で終わりなんです」と報告を受けた。
事前に退職の意向を伝えられていたとはいえ、それが具体的にいつなのかは知らなかったものだから気の利いたものは何も用意することができず、ただ驚くばかりで「えー」とか「うわー」とか「そんなぁ」とか、あまり意味を成さない言葉を繰り返すしかなかった。

そもそも、そのうち居なくなる短期バイトの私が別れを悲しく思うくらい誰かと親しくなることを想定していなかったのだ。

Sさんは私よりもずっと前からこの農場で働いていた。少し珍しい名字で、阿部寛さんみたいな濃い顔の二枚目で、仕事がやたらできるのに午前中だけ働いて帰る不思議な人だった。
お互いよく喋るタイプでもないので最初の頃は挨拶を交わす程度の中だったのだけれど、作業の合間にぽつぽつと世間話をするようになって、いつの間にか休憩中は何となく一緒に駄弁る仲になっていた。
Sさんは電子タバコを、私は菓子パンを咥えながら身の上話なんかをした。歳も近く、必要な分だけ働いて後は好きなことをする生活スタイルも似ていたこともあり、私は勝手に親近感を覚えていた(向こうがどう思っていたのかは分からない)。

そんなSさんが農場を離れ、実家に戻るのだという。
実家ではご両親が農業をされているらしく、跡を継ぐ形で本格的に農業に携わりながら、ゆくゆくは独立してほうれん草を育てたいとSさんは教えてくれた。
似たような生き方をしていても、将来の展望という点においてはSさんは私よりずっとしっかりしていた。あるいはこれが普通で、私が無計画すぎるだけなのかもしれない。

去年訪れた飛騨高山のトマト農家でもそこに居合わせた旅人から「いつまでもこんなふらふらした生き方できないからね」と言われたことを思い出し、色んなことが不安になってきてこれまで両手で必死に抱えていた「大丈夫」がまたぶるぶる震え始めた。一度こうなってしまうと、抑え込んだり宥めたりするのにそこそこ長い時間と少なくない労力が費やされるから大変だ。

そうだった、まだ人生は続いて、私は先を考えなければならないのだった。

雨上がりの湿った空気にSさんの吐いた煙が溶けていくのを、ぼんやりと眺めた。


午前の作業を終え、昼食のために事務所に戻るとSさんの姿はなかった。
お別れの挨拶ができなかったことを残念に思いながら事務所前のベンチに座って割引パンを齧っていると、帰ったと思っていたSさんがこちらに向かって歩いてきた。
Sさんは上着のポケットから携帯を取り出し「連絡先を教えてもらっていいですか」と聞いた。
私は言われるがままに携帯を差し出して連絡先を交換した。

「僕の地元、山奥のすごい田舎でパートさんもなかなか集まらないんで、たぶんそのうち流木さんを呼ぶと思うんですけどいいですか。住む場所と米は用意しますよ」と、Sさんは笑いながら言った。
どこまで本気で、どこまで冗談(あるいは社交辞令)なのか私には分からなかったけれど、少なくともまた会える可能性が消えずに残ったことを素直に嬉しく思った。
「その時はお邪魔しますね。遠慮なく呼んでください」と私も笑いながら言った。

「それまでお元気で」

これ折に触れて書いているのだけれど、私は基本的に未来の地点に予定を立てたり約束事を挟み込むことが好きではない。スケジュールは自由なままにしておきたい。

しかし何事にも例外はある。

例えば、再会の約束とか。

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