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湾岸戦争の内幕 ~ 外交文書公開

昨日(2021年12月22日)に、外務省は湾岸危機が発生した1990年9月の日米首脳会談の資料などの外交文書を一般公開しました。この外交文書公開というのは、30年経過した外交記録は、現在の外交交渉への影響が懸念される部分以外は公開するということに2010年に決まりました。

1990年8月に突然、イラク軍はクエートへ侵攻し併合しました。それに対し、国連はイラクへの即時撤退を求め、11月に武力行使決議をしました。

今回の外交文書公開で明らかになったのは、その前の9月の日米首脳会談の際、ブッシュ(父)大統領は、当時の海部首相に「自衛隊」派遣を要請しました。まあ、自衛隊派遣と言っても、戦闘をするということではなく、機雷掃海や武器輸送等だったらしいですが。

当然、日本は、武力行使を禁じた憲法9条を守らないといけないということでそのまま自衛隊を派遣することができません。当時の政府が提案したのが、国際平和協力法案というもので、非軍事組織の国際平和協力隊を創設して自衛隊の一部を参加させるといものでした。しかし、この法案は11月に世論の反発にあい廃案となりました。

さて、世界は日本と違う動きをします。34ヵ国の国から武力支援が行われ、「多国籍軍」となり、1991年1月にイラクに攻撃を始めました。結局400名弱の兵士がなくなりました。

私は、イラクのクエート侵攻の2年前まで5年間、クエートに駐在していました。その時のクエートの友人やら日本人駐在仲間の事が気が気ではありませんでした。イラクは、外国人を自国内の軍事施設や政府施設に「人間の盾」として監禁していましたらから。

当時、クエートには、家族含めて約500人の日本人が住んでおり、いろんな業種の人がクエートでビジネスをしていました。90年といったら、日本はバブル景気で、日本製品を海外に大量に輸出していた時期です。石油リッチの中東諸国はいいお得意様でした。

結局、日本は、「人は出さないけど、お金をだす」という支援をすることになります。日本政府は、9月に、20億ドル(2800億円)の資金協力をすることにしました。その後、91年1月に追加で90億ドル(1兆800億円)をすることになりました(結局、合計は130億ドル)が、この追加支援は、当時は、政府が諸事情を考慮してと苦しい答弁をしていましたが、公開文書によると米国の強い要請によるものだったのですね。

国際社会から、特に多国籍軍の参加国からは「金だけだす姿勢」を非難され、クエートのワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズなど米主要紙への感謝広告の中に日本の名前はありませんでした(まあ、これはアメリカ側の情報操作のせいという見方もあるようですが)。

とにかく、「自分の国さえ平和であればいい」という考えを日本人が皆持っていると思われているようで、私は、クエートの友人に対して、すごく恥ずかしかった記憶があります。

その後、これがトラウマとなりPKO法案が可決されるトリガーになりましたが、日本人は、決して、自分さえよければいいと思っているというより、日本以外の事を知らないガラパゴスの中で生きているからではないでしょうか。

今も、日本は、もっぱら格差問題をメディアは取り上げていますが、格差がグローバルに一番少ないのは日本です。日本の貧困の問題は、日本経済が成長していないのが問題で、日本人全体が、「皆が貧しければいい」という非常にガラパゴス的な思考をして、貧しくなっているのが問題だと思います。








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