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ミャンマー あれから一年

一年前の2021年2月に軍のクーデターが起こり、軍から支配されたミャンマーですが、まだ事態は好転しません。市民はゲリラ戦をやって激しく抵抗しましたが、死傷者も多く出て、今は、街にでない「沈黙のストライキ」をしています。世界は経済制裁をして圧力かけていますが、一番影響うけているのは市民ということでなんともやるせないです。

【2021年3月3日記】
あれから1か月たちましたが、どんどん状況は悪化しています。軍が市民に発砲し始めました。もう25年以上つきあいのあるミャンマーの友人に状況を聞いたら、「とても大変な状況で、軍や警官は市民の敵になった」と嘆いています。とても心配です。

【2021年2月2日記】
正直、「またか、、。」という感覚です。10年前にやっと自宅軟禁から解放されたと思いきや、またの拘束です。

この国は、ずっとクーデターやっている感じですね。2007年も僧侶までデモに参加する騒動にもなり、今回も警官まで参加するデモです。

かれこれ30年前の1992年に初めてミャンマーを訪れた時から、彼女は軟禁されていて、家の前まで行ったこともあります。10回以上訪問したと思います。


1995年の会社の社内報でミャンマーの下記私のインタビュー記事もでました。当時、ミャンマーは民主化がすすみ経済が発展しているので、やっと6年ぶりに解放された彼女は浦島太郎になっていてそれほど皆に必要とされていないと書いています。

しかし、その後のミャンマーは一直線に経済発展をするわけでもなく、また彼女を求めました。そして、やっとまた拡大傾向になると思っていたのに、またかです。

ミャンマーのたわごと

1995年の社内報にインタビューされて掲載された記事です。

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元々ミャンマーはビルマでしたよね。それが1989年にミャンマーに変わったんですが、ビルマというのは元来あそこの一部族だったんです。ミャンマーは星の数ほど民族がいて、カレン族、カサン族、シャン族とか。言葉も全く違う。北の方のシャン族はタイに近いからタイ語みたいまんですよ。軍事政権が大分武力で制圧して、今カレン族だけが残っているのかな。ここは有名な麻薬王が取り仕切っていて、麻薬の巣窟。自分で軍隊持って政府ともめてる。そこの土地の人にしてみれば学校作ってくれたりして、政府の言うことを聞くよりは、、という風。だから結構まだ複雑なんですよ。それでこの国は、1989年から、ベトナムのドイモイみたいにLiberalizeをすることになって、国名も「合衆国」を意味する今の「ミャンマー」にしたんです。

人口4,500万人。タイ‐6,000万人、ベトナム‐7,000万人と比べても結構でかいですよね。経済も92年以降の伸びは良くなってきてて、でもPerCapitaはまだUS$250と少ない。但し、この国は資源は豊富だし、人は勤勉なんで、水田などやってて日本の田舎みたいですよ。だから農業だとか天然ガスなどの地下資源もありますし、購買力から見るとUS$1,200ぐらいの感じですね。

ここを大きく分けると、ヤンゴン地域(東京)とマンダレー(大阪)。違うんですよ、人が。上方(マンダレー)は中国の影響が非常に強くて結構豊かですね。何故かというと、麻薬地帯に近いので中国との密貿易で儲けているんですよ。ここは中国語が通じるし、タイがカラオケ文化でしょ、カラオケが通じるのはここまでなんですよ。ここから南はカラオケ文化が無くなる。国全体としては、全くインド人みたいなのも、タイ人のような中国人みたいなのも、全くマレー人みたいなのも、みんな均一にロンジーという長いスカートをはいて、変な感じですよ。

ちょっと歴史的な事に触れてみますと、ここは3つのDynastyがあって、第一王朝の時、小乗仏教が入ってきて、それから元に滅ぼされた。その後、群雄割拠の時代で第二王朝になってビエンチャンからチェンマイまで勢力を伸ばし、最盛期の第三王朝となる。こういう王様たちがPagoda(寺院)を作ったんですね。19世紀になってインドに進出してきたイギリスと三度戦争をして、とうとうイギリスの保護領としてインドの1州となってしまった。Pagodaも1985年以来植民地となって帝国調になったらしいけど、もう100年以上経っていてでっかく古ーいって感じだけど趣はありますね。そして、太平洋戦争の時、日本はビルマ独立運動を支援する南機関が、後に「三十人の志士」と呼ばれるビルマの青年を海南島で訓練したそうです。その「三十人の志士」たちが中心となって独立義勇軍を結成し、昭和17年ついに首都ラングーンを占領したのです。その中心的な人物がアウンサン・スーチー女史(現NLD書記長)の父親、アウンサン将軍だったわけです。

正式には、1948年にビルマは独立したわけですが、戦争中もいろいろあったんでしょうけれど、他の東南アジアに比べて国家建設の援助の量も多いこともあって、日本、日本人は大変親近感を持たれています。「建国の友」として最も日本を愛してくれて感謝してくれている国と言っても言いすぎじゃないかもしれません。

アウンサン将軍がテロリストに暗殺されるという悲劇があり、その後ウー. ヌー政権の下、国家が運営されていましたが、1962年、「三十人の志士」の一人であったネ.ウィン将軍がクーデターを起こし、以降、社会主義になります。これから先の35年位がこの国にとって一番、暗黒だったんですね。長期にわたる独裁政権は必ず腐敗の道を辿るもので、しかも鎖国状態を続けたもんだから、なおさらひどかったようです。そして、1988年には、学生デモや大衆デモが頻発、イギリスから母親の見舞いに帰国したアウンサン.スーチーが大衆運動の先頭に。その民主化騒動の渦中で政権の座についたのがソー.マウン首相兼国家法秩序回復評議会(SLORC)議長。アウンサン・スーチーは国民民主連盟(NLD)を結成するが、1989年、軍政府により、自宅軟禁。その間NLD圧勝の選挙結果を無視、その軍事政権が居直って、5年間民主化の公約も何らなされず。しかし、1992年、ソー.マウンが失脚し、現在のタン.シュエさんに替わった。これが結構革命的な出来事で、対内政治、対外政治が大きく変貌。戒厳令を解除、外資導入制度の整備、経済開放政策をはっきり打ち出したんです。

現在メコン6か国開発プロジェクト(ベトナム、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、雲南省)というのがあって、域内の貿易をもっと活発にしましょうということで、急務である道路、ネックであるTransportationの開発をやっている。中国は、南西の方に海がほしいので乗り気だし、ASEAN諸国は、中国が今強くなってきているので、ASEAN10と言ってインドシナもいれてASEANにしようと、中国対抗上ミャンマーも散りこんでおきたいと考えている。アメリカも政治を優先するもLiberalizeを評価している。そして、周知のように日本も含めて外資の導入が活発化しているので、経済的にも政治パワーバランス的にもミャンマーの存在感は非常に高まっているんです。みんなミャンマーを認めざるをえなくなってきているんで、周り次第ではこれから面白いですよ。

今回のアウンサン・スーチーの解放はミャンマー側も周りの国もホッとしているところがあるんですね。彼女自身が浦島太郎になっちゃんですよ。大衆は経済がよくなってきているので民主主義という声が小さくなり、金や実利の方が先で、衣食住が満ちてからの民主主義なわけですよ。前は衣食住を満たすための民主主義だったんだけど、そうでなくてもうまくいき始めているから、それが終わってからの民主主義でいいんじゃないというようなことでしょうね。だから、見てるとすごく面白いですよ。


インドシナ歴史は、こちら


ミャンマーを題材にした小説を書きました。よろしければ読んでください。


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