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東京2020オリンピックボランティアまでの軌跡

東京2020が始まりました。私のボランティアもようやくはじまったところです。8年前から今日にいたる私のボランティアの軌跡を紹介します。

オリンピック・パラリンピック東京開催決定 2013年9月8日

8年前ですね、東京オリンピック開催のニュースが飛び込んできたのは、この時、「ボランティアをしよう!」と思いました。

ボランティア募集 2018年9月26日~12月21日

11万人のボランティアの募集が始まりました。観光・交通案内のシティキャスト(3万人、最低5日)と大会運営ボランティアのフィールドキャスト(8万人、最低10日)の2種類があります。平日もあるので、会社員はその間に休めるかですね。私は、フィールドキャストに応募です。

応募に受かるように前年に東京マラソンのボランティアしました、実績つくりです。

ボランティア面接 2019年4月7日

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今日は、ボランティアの面接です。これで合否が決まるというので、志望動機を下記のように下書きして暗記して臨みました。「えらく、立派なお話ですね」と言われましたが、本当なのですよね。

「私は、小学校一年生の時の1964年に「東京オリンピック」が開催されました。それこそ、国をあげての行事で、それに合わせて、新幹線や高速道路が完成し、子供ながらに、この国がまさに世界にデビューするような、経済躍進をしているのを実感しました。今、日本は、1995年のバブル崩壊から、「失われた30年」と経済低迷が続いていますが、また、今度の「東京オリンピック」を契機に、再び経済躍進をしたいものです。そういう意味で、このオリンピックは必ず成功させなければなりません。それに微力ながらお手伝いがしたいと思います。

当時、小学校の授業で唯一図書館にあるテレビで試合を観戦しました。これが、私が「海外」と繋がる原体験だったかもしれません。オリンピック後の日本は、高度成長の波に乗ってどんどん海外へもビジネスを拡大していきます。そういう時期に私も育ったので、将来は海外を股にかけて動き回る海外ビジネスマンになりたいと、中学生から特に英語を一生懸命勉強しました。そして、夢が叶い、電機メーカーの海外営業を担当するようになり、世界87か国を訪問し、海外赴任は16年間に及びました。その時に、世界の色々な人に助けてもらいました。その恩返しではないですが、是非、彼らに日本に来て欲しいと思いますし、その人達のお世話ができたらと思います。」

ボランティア研修 2019年12月14日

ボランティアに無事合格し、オリンピックユースセンターで研修を受けます。オリンピックの歴史やダイバーシティ&インクルージョンの事などを学びました。観戦チケットも3ペアあたりラッキーでした。

ボランティア役割決定 2020年3月9日

さあ、遂に連絡が来ました。「国技館でのボクシング」のボランティアだそうです。真夏の暑い屋外でのボランティアを想像していましたが、冷房の効いた屋内です。カミさんが「歳を配慮してくれたんじゃないの」と憎まれ口を聞きます。まあ、OKではないでしょうか。

コロナで滅入っていたところなので、ちょっと元気になりましたね。2年も準備していたボランティアが現実化してきました。後は、日程のオファーを待つだけです。このために有休もためています。

オリンピック延期決定 2020年3月24日

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アジアで猛威をふるっていたコロナウィルスが、欧米やアフリカに飛び火しだして、オリンピック延期だそうです。夏に収束しても、その前の選考や練習ができないという理由です。

空白の一年

延期が決まってからは、空白の一年となってしまいましたが、7月に2021年ボランティア参加に意思確認があり、9月頃から、e-learningで事務局とのコミュニケーションが始まりました。2021年に入って、コロナの状況も深刻になり、ボランティアのキャンセルも出ているとの報道もありました。

シフト決定 2021年4月23日

国技館でのシフトが決まりました。結局9日間になりました。9~15時 15~21時 12-18時の3パターンです。

役割別オンライン研修 5月21日

具体的に何をするのか役割別に研修がありました。遠方の方もいるので、オンラインの研修は非常にいいですね。我々の仕事は、試合結果を印刷して、各部屋に配るという結構地味な仕事で、残念ながら試合会場からは離れているとのことでした。

ユニフォームとIDカード配布 5月24日

さあ、ユニフォームとIDカード(アクレディテーションカード)が配布され、いよいよ感が出てきました。ボロシャツ3枚、半ズボンにもなるパンツが2枚、ウィンドブレーカー、靴下2枚、マスク2枚、帽子、靴、ポーチの8点です。

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ワクチン接種 6月19日

コロナが一向に収まりません。ボランティアの接種は、選手と接する機会の多い1万人のボランティアにのみ優先接種をするらしいとの報道でしたが、2日前に突然、メールでワクチン接種の案内が届いたので、都庁へファイザーのワクチン接種に行きました。2回目は、7月10日なので、その2週間後からのボランティア活動開始にちょうど間に合いました。

オリンピック無観客決定 7月8日

これで、観客とかかわるボランティアの仕事はなくなりますが、海外からのボランティアもこれなくなっているので、調整されるのでしょう。事務局は最後までバタバタだと思います。私の3ペアのチケットも払い戻しです。

会場別研修 7月17日

本番前の最後の研修は現場での研修です。国技館行ったことがないのでちょうどよかったですね。家からちょうど1時間といったところです。会場が広いので迷子になりそうです。PCR検査を4日おきにするということで、唾液を入れる容器をもらいました。

ボランティア開始 7月24日~

さあ、いよいよボランティアの開始です。家からユニフォームを着ていきます。最初は、みんな要領もわからず、選手も関係者も会場には慣れておらずバタバタして時間が過ぎます。結局、我々のところは、試合結果の配布だけでなく、通路のポイントで関係ない人が入ってこないようにコントロールするアクセスコントロールという仕事です。これはコロナ感染対策にも関係する重要な仕事です。

仕事は毎回同じではなく、途中変わることもあります。先日は、ブラカードもって選手を先導したり、リングサイドで休憩の椅子だしやモップでコーナーの汗などをふいたりする役で緊張しました。しかし、それ以上に選手の緊張感が伝わり、しっかりサポートせねばと思いましたね。

無観客なので、選手は声援を得られずちょっと可哀そうです。エジプトの選手と接する機会がありましたので、私のつたないのアラビア語で応援したら、シュクラン(ありがとう)と喜んでくれました。ちょっと嬉しかったひと時でした。

日数を重ねていくうちに、ボランティアも選手・関係者も慣れてくるので、スムーズに事が運びだしましたが、後半になるとメダルがかかった試合になっていくので、皆エキサイトしてくるので、またバタバタになるそうです。

とりあえず、現場からは以上です。


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