後遺症が残った過失10の交通事故に遭った話⑧ 眼神のふるえる手

こんばんは。見てくださった方、ありがとうございます。
春眠暁を覚えず、の季節ですが、みなさんは寝過ごしていませんでしょうか。

私は昨晩、ひとりPS5でゲームをしている夢を見ました。
しかもなぜか昔行ったリゾートホテル的なところで、快適な広ーい部屋の中のTVの前に縮こまってゲームをするという大変怠惰で幸福な夢でした。
寝過ごしたかったですが、暁にしっかり目覚めました。残念です。

それでは、前々回の続きです。
眼の神に出会う話なだけで、ちょっと長めです。


お金を借りるのを一旦放置して、
保険会社から「資料を出せば損害補償額の考慮に入れる」と言われたバイト代の明細や専門学校の諸費用の資料をそろえるために日々せわしなく過ごしていました。
気付けば、あっという間に眼科の眼窩底骨折専門医の診療日になっていました。

この地域の人気病院(診療所)あるあるなのですが、まず受付時間というものがあり、患者は自分で予約したその受付時間に病院に行きます。
そして受付をし、自分の番が来るまで、なんと!2時間~4時間待ちます。待合室の椅子でひたすら待ちます。
もし自分の番が来た時に待合室に居なかったら、さらに待ち時間が2時間くらい追徴されるのでみんな頑張って待ちます。
しかも予約する時に職員さんから
「受付時間は来ていただく時間であって、実際に診察できるのは受付時間から2時間程度後になることが多いです。」
と言われます。
それならばなぜ受付時間を2時間後にしないのか。なぁぜなあぜ?です。

この日も私は待ちました。
2時間くらいの待ち時間の間、近くの親子をぼーっと眺めて過ごしました。
4歳くらいの子が瓶底眼鏡をかけ、一所懸命に目を近づけて絵本を読んでいました。お母さんが「代わりに読むよ、貸して」と言っていますが、子供は断固拒否しました。「僕は自分で読みたいんだ」と。
まだ小さいのに文字を読もうとしていて、さらにこの答えです。この子は努力を厭わないとてもしっかりした子に育つだろうと思いました。そして、眼の悪さからたくさん苦労するだろうとも思いました。
彼がのびのびと生きていけるよう、眼科医療の発展を願うばかりです。

そんな感傷に浸っていたら、私の番が来ました。
眼科には珍しい明るい診察室で、ほぼおじいちゃんと言っても過言ではないグレイヘアの70歳近そうな先生がにこにことこちらを向いて座っていました。
入ってきた患者の方を向いて目を合わせて笑いかける、これは絶対にいい医師です。私は緊張していた腹筋を緩めました。
医師の胸ポケットにはアンパンマンが乗っかったキャラペンがささっています。やっぱり間違いない、子供にも優しい良い医師です。
「ほうら、泣かない。アンパンマンだよ~」と子供患者をあやしている姿が目に浮かびました。

「さて、交通事故で怪我をしたとのことで、データ等も前回の先生から預かって見させてもらいました。ちょっと確認で、眼だけ動かしてこれを見てくれるかな?」
医師はアンパンマンのペンをポケットから取り出してふりふりしています。
まさかの、アンパンマンのペンを使われているのは大人になったはずの私です。ちょっと動揺しながら私はアンパンマンを見ました。
右に左に、上に下に、と医師はアンパンマンを動かします。
さすが専門医だけあって、私の視界が大きくズレる(二重になる)位置を見つけ、重点的に確認していました。
私は、医師の真面目な顔と動き、それに対するアンパンマンのコミカルさのギャップに笑いそうになるのを必死にこらえました。そもそもこうやって患者を和ませることすらこの医師の技なのかもしれません。

ひととおりアンパンマンで確認したのち、医師の指示のもと視野検査などのいくつかの検査を行いました。

視野検査では、
頭を固定し、50cmくらい先にある直径約50cmのパラボラアンテナ的な丸い板にレーザー点を当て、どのあたりが見えないor異常かを技師が確認しながら、私の視野マップを作っていきました。
中心では明らかに1つに見えていた点が、周辺に移動するにつれて2つに分裂しました。眼がおかしくなっていることが客観的に理解できました。
2つに分裂したところで私が「そこです」と言えば、技師の方がマップに異常開始位置としてチェックする、という方法です。
『これは多分事故の後遺障害の等級認定に関わってくるぞ。自己申告制だしここでズルする人が多そうだな・・・』
と悪魔がささやきましたが、私は後遺障害が欲しいわけではありません。ただ全快したいだけです。
正直どの位置でも1秒くらいはピントが合わず2つに見えるので、本当は全視野でぶれているのだと思います。うまいこと合わせられる限度内にあれば1つに見えるように脳によって調整されているような気がしました。
今後の治療方針にも関わりそうなので真面目に真摯に、しばらく待っても2つに見える位置だけを技師に伝えました。

検査技師が作成した私の視野マップによると、どうやら正面視は問題なし、周辺視野の一部がダメで、合計すると全体視野の3分の1が異常のようです。

随分あとになってからですが、後遺障害等級の基準では正面視に異常があるとかなり等級が上がることがわかりました。
周辺視野が欠けるのは後遺障害等級としてはかなり下の方です。確かに周辺視野異常の私でも日常は割とどうにか過ごせています。

たまにこの検査の時に「目がぁ目がああぁ!」とムスカのようなことを言いながらしれっと「正面もぶれます」と不幸そうにしたら人生がまた違ったかなと思います。
実際1秒間くらいは正面もぶれて見えているので完全な嘘ではありません。
でも、正面が見えないと言い張ると車の免許に支障が出そうです。運転免許はく奪になると田舎の実家にも帰れず大変困ります。
なにより、あの優しくて誠実そうなアンパンマン医師に嘘をつきたくありませんでした。

関係ないですが、アンパンマンのマーチ、いい曲ですよね。
元気が出ます。友達は愛と勇気だけなところも切なくて元気が出ます。

検査が終わり、再度診察になりました。
検査結果のマイ・視野マップを見ながら医師は「うーん、確かになぁ。もう一度これを見てください」と胸ポケットから再度アンパンマンを出陣させました。
『今度は笑わないし動揺しないぞ!』と心の奥で誓い、私はアンパンマンを凝視しました。
そして気付きました。
すっごく震えています。医師の持つアンパンマンペンが、小刻みにぶるぶると震えています。次第に震えはピークに達し、「トイレ行きたいよー」と言わんばかりの見事な震えっぷりとなりました。
『あれ、ひょっとして。この医師は筋力の衰えとかそんな感じで、年齢的に手が震えるのかな』
私は少しだけ不安になりました。でも真顔を保って震えているアンパンマンを右に左にと眼で追いかけました。

アンパンマンが胸ポケットに帰着し、私は勝手に安堵の気持ちを抱きました。動揺しないと誓ったのに、震えるアンパンマンに心が動揺してしまっていたからです。

私の動揺をよそに、医師は穏やかに所見を話し始めました。
「こうやって診ると目が動かなくなる位置が確かにあって、検査結果と一致しますね。左目の神経か何かが骨折箇所に引っかかって動きが制限されているんじゃないかなと思います。
事故直後に医療体制が整った眼科に行けば治っていたんじゃないかと思うのだけれど、今は事故から4か月くらい経っていますから。引っかかりが取れたら治るかもしれないから手術をしてみるといいと思います。けれど、手術をしても治らない場合もあります。目の内容物は減ったら復活しないですし、脳が見え方を調整したりするのもあるし、長く経つと今の状態で固定してしまうかもしれない。手術をするなら早めがいいですよ。」

『出た!早く治療していたら治っていたんじゃないか説!何度目だよ・・・』
と正直思いました。
この4か月間、私は「早く手術を」派の医師と「何もしなくていい」派の医師との狭間で行ったり来たりの起き上がりこぼし状態でした。
とうとう、最終的にたどり着いたこの専門医から「早々に手術してたら治っただろう」の太鼓判をいただいてしまいました。

とにかく、この事故の医療に関するすべての元凶はあの市民のための総合病院で、
『もう恨んでしまえ!この有名そうな先生に愚痴言っちゃうぞ!!』と私の脳内はファイヤー状態です。
「先生、私は事故をした日に市民のための総合病院の眼科に診てもらおうと二次搬送されたのですが、眼科の先生が一人もいない日だったんです。代わりに診てくれた耳鼻科の先生は大丈夫だといいました。」
結局、言えたのはショボいそれくらいの愚痴でした。

「あの病院なら知り合いの眼科医は何人かいるよ。いい先生だから、診てもらえていたら絶対状況は違っただろうけれど。そうなのか。耳鼻科は確かに近い部門だけれどもね・・・。
手術したいですか?治らないかもしれないけれど、してみる価値はあると思います。後から「あの時手術しておけばよかった」と後悔しなくて済むかもしれない。でも、顔を切り拓くことになるから顔に手術の傷跡が残るし、治ると確約もできないですが、執刀は私がします。」

ん?
どうやらその道の権威っぽいこのすごい先生が執刀してくれるようです。
大変ありがたい限りですが、私は手の震えが気になりました。
しかし、さっきは診察前にたまたま重たいものを持ったりして握力が限界だっただけかもしれません。きっとそうです。
顔に手術痕が残るとかの話も出ていましたが、この時の私の頭の中は「震える手(アンパンマン)」でいっぱいでした。

しかし私は即決しました。もう色々考えるのは疲れたからです。
「治らないかもしれないけど、手術したいです。」
先生は私の顔を見ながらしっかりと頷きました。
「わかりました。治るようにこちらも努力しますし、折角なので治りたいと思って欲しいですけれども。目の下に出来るだろう手術痕も極力目立ちにくいように縫い合わせの糸を細くする等で気を付けますが、痕は残ると思います。」
なんと、先生はそんな繊細なことにも気を使ってくれるようです。
有難すぎて、気軽な気持ちで手術してほしいと思った私は変な発言をしました。
「大丈夫です。痕が残ったら、まぁ、それも味になるんじゃないでしょうか。」

『海賊王になりたいやつかよ!』『どんな味だよ!』
変な発言をした自分にパニックです。脳内には麦わらの一味の麦わらボーイの顔がずっと張り付いています。
先生は対応に困ったのか微笑のまましれっとしていました。

そして、私の2度目の入院と、事故からずいぶん経ってしまってからの眼窩底吹き抜け骨折の整復手術が決まりました。


この後、やっぱり震えに不安になった私は、失礼だと思いつつこっそり自宅で医師(お世話になるので先生と呼びます)の名前を検索しました。

とんでもない先生でした。
眼窩骨の整復から形成眼科全般に至るまで、様々な症例と治療法を確立し広めてきたすごすぎる方で、会長やらも務めていて、眼科医ならみんな知っているレベルの先生でした。
どこかの眼科医のブログでは「眼の神様」と呼ばれていました。信者がいて信仰されています。
ご神体はゆるキャラ「にしこくん」みたいな形状の、目に足が生えてる感じでしょうか。いや、ここはやはり「先生の写真」でしょうね。


私は不運続きのなか、とうとう神に出会いました。
(会った時には気付いていませんでしたが。)

眼神が手術をしてくれて、それで治らないのなら多分誰がしても治らないでしょう。
眼神が「手術しても治らないかも」というのなら治らない確率が結構高いのでしょうし、これまでの神の手術歴からすると私の完治は難しいのでしょう。
私は盛大にあきらめがつきました。
そして、治ったら奇跡、くらいの気持ちになりました。

手が震えていることくらいなんてことないのです。
手術を見ていたほかの眼科医が「神」と呼ぶくらいです。
きっとマンガとかドラマみたいに、
「執刀を始めます」でメスを持ち震えていた手がビシッと静止し、最初の一刀から奇跡のような手術が始まるのです。多分。


手術は正月明けに決まりました。
なるべく早く手術できる日を探すと、眼神の先生の空きがその日しかなかったからです。
私の手術は偉大なる先生の貴重な正月休みを前倒しに減らして行われるのでしょう。申し訳ないことです。
入院先の眼科には大型検査機器がないため、私は急いで指定の病院でCTとMRIをとり、正月から入院することになりました。

入院に向けての説明の日、
関東在住で月1の診察か手術の時だけ来る執刀医(眼神)の先生の代わりに私に説明をしてくれた医師は
「全身麻酔なので、ごく稀に麻酔が合わず目覚めないこともある」
「手術で亡くなる可能性もごく稀にある」
等の危険性についての説明をしました。

その年末年始は『これが人生最期の年越しかもなぁ』と思いながらほぼいつも通りに過ごしました。
アパートで年越しうどんを食べ、正月セールに入院用のパジャマと下着を買いに行き、初詣のおみくじでは中吉を引きました。
ちなみに、親に「車に当たったんだから、くじも当たるかもよ」と言われて買った年末ジャンボは外れました。


今回は以上です。
不穏な終わり方ですが、こうやって書いているのでわかる通り、しっかり無事に生きています。

そして今回は眼の神に出会いました。
穏やかではっきりと話す、いい先生でした。
先生の書いた論文もいくつか読みましたが、症例が小さい女の子だったりして、先生はその都度すごくその子の人生を気にしながら全力を尽くしてきたのだろうと思える、ほんのり人情味の入った論文でした。
耳鼻科で治療してうまくいかず先生の元にたどり着いた子や、副鼻腔炎の手術をしたら眼を傷つけてしまって先生の元に送り出された男性もいて、とにかく一次手術や診察で最適解にたどり着けなかったりミスしたりで二次搬送されたパターンも多いようでした。

私も先生からすると、たまにいるそういう残念パターンの患者の一人だったと思います。
私の手術がうまくいかなかったとしても、それは一つの症例として先生に記録され、おこがましいですが先生の経験となり、今後の眼科手術の発展や、同様の手術を行う誰かの助けになるかもしれません。
こんな怪我をしたのがせめて何かの役に立てば幸いです。

・・・とか思わないとやってられねぇや、てやんでぇ!べらぼうめ!!
って感じですね。
「べらぼうめ」の意味がいまだに分かりません。なんなんでしょう。
買い物しに行ったら商人に「べらぼう」にぼったくられたんでしょうか?

まぁそれは置いておいて。
この先生とは本当に良い出会いで、私は恵まれていました。
何度も言いますが、「この先生で無理なら誰がやっても無理」と思えることで、その後の人生(眼生?)にすっぱり諦めがつくものです。
この先生に会っていなかったら、私は今もいい眼科医を求めて「めーどうにかしろー」とゾンビのような死に体でさまよい続けていたかもしれません。

次は入院~手術~退院、の回になると思います。
入院中はまた保険会社の担当者が出てきますし、手術後の先生からの感想もあって、ちょっと重めかもしれません。

長文をここまで読んでくださってありがとうございました。
みなさんも楽しい夢が見られますように。