見出し画像

④国民の安全は戦争をしないこと~佐久・望月―式部からの発信~鳴き続ける蟋蟀でいたい(農民作家・飯島勝彦)

 本稿の初回は、「国を守るならば、軍備ではなく、防災と食糧自給を急がなければならない」と、少々大袈裟に振りかぶってしまった。この国のあまりにも情けない政治に、業を煮やした蟋蟀のひと鳴きだったが、元日に虚を衝くような能登半島地震が起きた。
 2回目にそのことを書き、前回は食料不安について書いた。「食料・農業・農村基本法」を改定するというのに、国内自給率の目標を削除し、輸入と、あろうことか輸出の伸長を図るという。「有事」で不足したら、農家・農業法人に芋の作付けを強制する…呆れた中身が分かったからである。

 ようやく、今回はムラの風土が書けると思ったら、今度は、英・伊と共同で戦闘機を輸出する閣議決定をした。世界唯一の平和憲法をもち、80年も戦争をしないできた日本が、兵器を造り、他国に売って金を稼ぐ国になってしまった。これでもう「自衛の国」は信用されず、「戦争のできるふつうの国になりました」と、世界中に宣言したようなものである。
 この10年余、政府・与党は様々な法律を数の力で強行してきた。今や先制攻撃も防衛のうちだとして、「同盟国の戦争」にまで馳せ参じなければならない。1000兆円を超える借金大国(1%の金利が10兆円)でありながら、野放図な軍拡予算、国土の大規模な軍事基地化をみれば、もはや憲法は奥座敷の飾り物になってしまった観がある。

 桐生悠々が生きていたら、今の日本をどう論じるのだろう。どう「嗤(わら)ふ」だろうか、と思う。

 信濃毎日新聞主筆の桐生悠々が「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」を書いたのは、1933年(昭8)8月11日の社説である。東京周辺一帯にわたる空爆を想定して、前々日から始めた陸軍の大規模な迎撃訓練を、
 「木造家屋が密集する首都の上空で敵機を迎え撃つかの如き実戦は、我軍の敗北そのものであり将来決してあらしめてはならない。かかる架空的な演習は役に立たず滑稽である」と断じ、嗤(わら)った。「実際におきれば防ぎようのない無駄な作業(費用も、時間も、労力も、『皇国への忠義』も)であると論じたのだ。(予言はそれから12年後、東京大空襲によって壊滅的に実証された)
 理に適った提言だが、「その意義極めて重大にして…」と御沙汰(ごさた)した天皇への不敬だと憤った軍部と、信州郷軍同志会の「信毎不買運動」の暴圧によって、悠々は信州の地を追われることになった。
 「嗤(わら)ふ」は「面と向かってさげすみ笑う」ことで、「哂(わら)ふ」(陰でそしり笑う)にしておけば失職は免れたかもしれないと井出孫六さんは書いているが、論説記者の仕事は「言いたいこと」(権利の行使)ではなく、「言わねばならないこと」(義務の履行)を書くことだという軌範を己に課していた悠々には、逃避できない一語だった。

 その、90年前と同じムダな事態が、いま大手を振って進行している。“敵国”を中国とし、南西諸島には島ごとに自衛隊が駐屯し、それぞれミサイル部隊を置き、継戦能力(戦闘を継続する)強化のための要塞基地建設が進む。さらに、有事の軍事使用として北海道・沖縄・九州・四国の空港・港湾(16カ所)の、軍港への整備工事が開始される。能登半島の港湾復旧ではないのである。
 米軍の空母機訓練用として基地化する馬(ま)毛(げ)島(しま)(屋久島の近く)の工事費が約1兆円。地震のたび老朽破損が指摘される、水道管の更新が全国で年間1兆円。長野県の今年の予算が1兆円である。工法上完成不可能といわれる辺野古の米軍飛行場は、何十兆円になるのか見当もつかない。
 これらは「国民の安全に役立つこと」なのか―桐生悠々なら即座にNOと言い、呆れ、嗤い、今度は声をあげて怒(いか)るだろう。
 「原発が密集し、米軍と自衛隊基地が密集し、東京に人口と国家機能が集中するこの国へ核弾頭ミサイルが発射され、迎撃を突破した一発(或いは二発)がどれかに着弾したならば、その絶大な破壊力は即敗戦を余儀なくし、たとえ抗戦しても亡国を免れない。国土に爆弾を落とさせない外交戦略が肝要で、投下を前提にした兵器の購入(製造も)や、基地の拡大整備は役に立たぬムダ使いである」と。

 全国の自衛隊基地で弾薬庫の建設が予定され、沖縄には特に多い。これは「国土を戦場にする時の時間稼ぎの縦深作戦」をめざすもので、「敵を国土内部に引き込んで長期戦にもちこむため」であるという。80年前には沖縄が、日本本土のためにその役を強いられた。では今度はどこに?答えは日本が米国のためにである。

 80年たっても「日米地位協定」を一つも変えられず、属国のまま130カ所もの米軍基地を置き、中国や北朝鮮を“敵国”として合同演習を繰り返す。中国もロシアと合同の艦隊訓練をし、北朝鮮はミサイル発射を繰り返す。が、中国は日本にとって今や最大の貿易国で、戦争になって最も打撃を受けるのは与党のスポンサーである大企業である。各国の経済網が今ほど密であれば、国対国の戦争など滅多にできる筈がない。支配層の億万長者が一瞬に全財産を失うからである。
 「米国に押し付けられた憲法だから改定しろ」と言い、「九条守れ」を「平和ボケ」と揶揄(やゆ)する者があるが、彼らが「日米地位協定を改定しろ」と言うのを聞かない。それが、長年の盟主(米国)の核のカサに馴らされた「戦争ボケ」であって、「平和ボケ」が対峙するのは血のにじむ対話外交であり、武器をとるよりもよほど度胸がいるのである。
 産業界に「これからの成長産業は軍需と農業である」という声がある。軍需は現今のように、戦争が起こりそうな状態にして儲ける、三菱重工のような例がある。
 農業は?と不審に思ったが、「食料」に置きかえると合点がいく。食糧危機が迫っているのを、彼らも知っている。-資本主義の限界がきていると感じる。
 「蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜」と墓に刻んだ、桐生悠々の遺志を継いでいきたいと改めて思う。か細いひと鳴きであっても。

追伸
 ハワイのインド太平洋軍司令部にある在日米軍指揮権を、東京の在日米軍司令部へ移し、自衛隊と米軍との「統合作戦司令部」を発足させるため、四月に岸田首相が訪米する。米軍との本格的な連携の開始で、開戦すれば日本への報復攻撃は避けられない。
 情勢が刻々と変わっていく。悪い方向へ。
 どうする?蟋蟀!! 

(2024年4月5日)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?