見出し画像

小説:シオン咲く庭 #1

あらすじ

 Vtuberアイドルグループ『フラロ』所属の霧庭シオンを推す4人が集まるチャットグループ『シオン咲く庭』。家族のために四六時中働きながら、合間にイラストや切り抜きを投稿する北野千尋(ひろ)。「推し=投資」と考えてお金を使う会社員の新間恵(まに)。推しも彼氏もいる高校生、本橋花鈴(すずなん)。推しが唯一の生きる糧になっている古参ファンめいちゃ(めいちゃ)。ファン同士の交流が目的で集まった4人だが、環境や価値観の違いにより次第にすれ違っていく。

本文

北野千尋#1

 バイトから帰ると、丼にごはんと作り置きの野菜炒めを入れ、レンジで温める。3分の間に着替えやらメイク落としを済ませ、本日の夕飯をかっこんだ。先にパソコンを起動して、母を起こさないように洗い物を終えたらだいたい23時。推しの配信が始まる。サイトを開くと、既にオープニングが流れていた。あと5分くらいは始まらないはず。
 スマホに通知が来た。いつもの推し活チャットグループからだ。
「すずなん:シオくんの個人配信始まります!!!→(リンク)」
「めいちゃ:今起きた笑笑」
「まに:今日残業で見れません泣
    誰か画録してあとで見せていただけないでしょうか」
「すずなん:うわーんそれはきつい泣
      お仕事おつかれさまです!!
      ちょっとなら画録できるかもです!!」
「めいちゃ:社会人乙。20分くらいならいけるかも?」
 思わずくくっと笑ってしまって、それからはっとした。ヘッドホンを外して振り返ったが、誰もいなかった。のろのろ立ち上がって、出しっぱなしにしていたメイクポーチを机にしまう。
「ひろ:私、切り抜きつくるので録りますよ!」
 椅子に戻って返信を送ると、すぐに既読がついた。
「まに:ひろさんありがとうございます。感謝です!」
「すずなん:協力できなくてすみません!ありがとうございます!!」
 めいちゃはもう待機しているのだろう。画面録画アプリを起動し、水をひとくち飲んだ。
「はいどうも。Vtuberアイドルグループフラロ所属のサイレントピンク、霧庭シオンです。皆々さま聞こえてますかー。生きてますかー・・・・・・えぇ、今日死んでる人多くない?」
 癒やしとナルシストの中間をとった落ち着いた声。アンニュイな表情、優しさとドライさの塩梅、全部良い。メッシュ部分が描きにくいことだけ難点だが。
 配信はいつも、机に座って飲み物を用意して聞いている。最初はイラストを描きながら聴いていたが、おもしろいところに限って聞き逃してしまうのでやめた。イラストはイラストで集中した方が良いものができる。
 今日はクイズ配信。視聴者が霧庭シオンに関するクイズを作り、それをなぜかシオン本人が回答するという珍企画。すずなんとめいちゃは事前に用意されていた募集フォームに20コくらいクイズを送ったらしいが、果たして採用されたのだろうか。匿名といえどもそれだけの時間と労力を使って1個も読まれないと考えると自分だったらヘコむ。
 スタンバイオーケー。もう夜中だけど、僕の1日はこれからだ。

新間恵#1

 フルールアヴァローヴ、略してフラロ。エソラエト、灰羽遊、霧庭シオン、asapinaの4人組からなるVtuberアイドルグループ。今日現在のチャンネル登録者数は9056人。伸び具合を見れば年内には登録者1万人記念配信をやるだろう。
 私は箱推し、いわゆるこのグループ自体が推しだ。その中で最も推しているのは霧庭シオンである。推しが決められなかったというわけではない。世界を塗り替えてくれそうな、このグループだから応援したいのだ。よく推しを表現する時に使われる恋人や教祖ではなく、革命家という言葉が一番しっくりくる。
 椅子に座ったまま天井を仰ぐ。真っ暗だ。パソコンの画面だけが不気味に光っている。とはいえオフィスの電気をつける気力も無いし、なんなら節電のためにつけるなと言われている。暖房がついているだけありがたいと思うべきなのか。
 椅子から立ち上がって伸びをした。何時間も座っているので腰が痛い。休憩にかこつけてチャットグループ『シオン咲く庭』の写真アルバムを開いた。ちょうど今週はフラロのグッズが届く頃で、新しいデザインの缶バッジやアクリルキーホルダーの開封写真が送られてきている。
「みんな青春してるねぇ」
 すずなんは、「好きなモノ全部盛り」と称してピンクのキーホルダーをつけたスクールバッグを載せていた。シオンのアクリルキーホルダーが2つ、魔法少女のステッキ、小さなテディベア。そしてファンシーな中でよく目立つピザの食品サンプル。あぁ、シオンの好きな食べ物は、公式プロフィールによるとピザだ。
 めいちゃは歴代3年分のアクリルキーホルダーや缶バッジを机にびっしり並べて、壁にはクリアファイルやタオルを掛けて祭壇を作っている。たしか缶バッジが1個500円くらいでアクリルキーホルダーが1000円くらいか。ざっと見ると缶バッジが100個、アクリルキーホルダーが20個ないくらいだとすると・・・・・・あの子は私と同じ一人暮らしのはずなのに、いろいろと大丈夫なのだろうか。家賃、水道、電気、自分で管理できてるのかと親でもないのに急に心配になった。
 ひろさんはグッズを買わない派らしい。ランダムブロマイドを10連したときに結果報告したくらいだ。「金出せなくても動画のコメント、高評価、布教で貢献してます」とはひろさんの持論である。彼の布教のしかたは常人には到底できないものだが。
 明日には注文していたアクリルスタンドが届くだろうか。届いたら棚と机のどちらに置こうか。メンバー4人の配置はどうしようか。グッズ撮影のために百均で背景シートを買わなきゃ。あぁ、考えているだけで楽しくなってきた。これだからグッズを買うのはやめられない。
ふと時計を見ると日付が変わっていた。そろそろ仕事に戻ろう。

めいちゃ#1

 1年前のマイブームは毎朝の野菜スムージー摂取。昔習っていたのは空手。好きな食べ物はピザ。カラオケに行ったら最初に歌うのはKING。唯一メンバーに勝てるゲームはマリカ。フラロ結成後の初個人配信で起きたハプニングは部屋に野良猫が侵入していたこと。
 今までの問題の約8割はわかる。正解できなかった問題はシオンが今この場で考えたものくらいだ。さすがに出されていない情報は推測しかできない。
「問題11:シオンくんが2回目の誕生日配信で灰羽くんから貰った誕生日プレゼントはクッキーの詰め合わせで、す、が? その味を全部答えてください。・・・・・・待って、いくつだっけ。何種類かだけ教えて。ヘルプ」
 プレーン、チョコ、ラズベリー、オレンジ、ピスタチオ。コンビニのアルバイトよりはるかに簡単だ。もしこのクイズで賞金獲得できたら、優勝できる自信しかない。初配信から見てたし、メン限入ってるし、何よりシオン情報に関しては記憶力がすこぶる良い。
「5が多いね。ほんとに合ってる? プレーン、チョコ、あと、いちご。抹茶は無かった気がする。え、緑あった? 嘘ぉ」
 いかにもわざとらしく驚いているが、たぶん本当にわかっていない。特にピスタチオは存在すら知らないだろう。だからこの企画が成り立っているのだが。
 配信も終盤を過ぎた頃、眠くなっていた頭に覚えのある文章が入ってきた。
「問題15:霧庭シオンが今歌いたい歌はなんでしょう?」
 シオンが見てくれた。読んでくれた。私の送った質問!
 勢いでベッドにスマホをぶん投げてしまい、いそいそと取りに行く。今鏡を向けられたとしたら、絶対気持ち悪いくらい口角を上げてにまにましているだろう。3年も推していればDMやらフォームやら読まれることは何回もあるが、不思議なことに毎回ちゃんと嬉しいものだ。
「これは難しいかもね。ヒントはボカロ。たしかカバー動画あげてる」
 ここは当てたい。当てたいというか誰よりも早く正解を出したい。過去のカバー動画の曲名を、覚えている限り片っ端から送った。
「答えはジェヘナ。いぇーい拍手。なんかね、この質問見たときにぱっと思い浮かんだ・・・・・・今歌って欲しい? うちのリスナー欲深いな。どうしよっか。今日は時間無くなりそうだから・・・・・・また今度。楽しみにしてて」
 たしか霧庭シオンとして初のカバー投稿がこの曲だった。活動開始からしばらく経って公開された、シオンのイメージを決定づける曲。本人もこの曲への思い入れを配信で語っていた。
 時間が押しているようで、感傷に浸る間もなく次のクイズに移った。
「問題16:不躾なクイズですみません泣 シオくん、現在のスパチャ総額は? ・・・・・・あっはは。ほんとに不躾だねぇ。ごめんごめん。あの、普通こういうときはそんなことないよって言うと思うんだけど。ストレート過ぎておもしろい」
 見えるか見えないかくらいの黒い靄が横切った。別にコメントにおもしろさを求めているわけではないだろうし、こっちも読まれるために送ってるわけではないけれど。
 コメント欄に「笑」とか「辛辣」とか「言っちゃえ」が一気に流れてきた。こういう質問はタブーだよね、と思っている人も多いだろうがあえて誰も言わない。ふいにこの秩序を乱したい衝動に駆られて、ぐっとこらえた。
「俺言っていいのかなぁ。って・・・・・・待って待って。仮に答えるにしても今からスパチャ送られたら計算しきれないよ。俺暗算できないから。嬉しいけど1回ストップストップ。電卓持ってくるから」
「何なの。これ以上・・・・・・」
 指に血がついていた。いつの間にか首を掻きむしっていたようで、毛布が当たるとヒリっとする。その痛みでやっと怒りから解放された気がした。
 500円のスパチャをしてしばらく画面を見つめ続けていたが、配信が終わってもシオンがスパチャの総額を答えることはなかった。

本橋花鈴#1

 校舎から出ると、顔に冷気が張り付く。刺すような寒さに身震いしていると、後ろから足音が聞こえてきた。
「花鈴おつかれ。今日ずいぶん眠そうじゃん。どしたん」
 真美が私の顔を覗き込んだ。クマを隠しきれていなかったのかもしれない。
「シオくんの配信見てたら日付変わってた。もー、せっかくの土曜日なのに部活あるのが悪い」
「フローラルなんとかローズだっけ」
「ちがうフルールアヴァローヴ。フ、ラ、ロ。のシオンね」
 特に何を言わずとも、二人で最寄りのバス停まで歩く。
「あのグレーにピンクメッシュの髪の人でしょ。うーん、私、何回見てもあの性格あんまり好きじゃない。自分達観してますよー的な物言いが腹立つ」
 私も最初はそう思ったが、毎日聞いていれば案外慣れてくる。
「花鈴が2次元とか3次元にハマったことって今まで無いよね」
「そうなの。自分でもヤバいと思ってるんだけど、まじで沼」
 最初はインターネットの世界に違和感があったが、慣れてくればVtuberだろうが現実のアイドルだろうが、本質的には変わらない。
「でも、花鈴は彼氏もいるんだよね」
 も、という言い方が引っかかる。
「何回も言ってるけど、推しと彼氏は別。あと彼氏にはフラロのこと話して理解してもらったから大丈夫」
 本当に何回も言っているが、真美には未だにピンときていないらしい。
「ふうん。話したって何を?」
「何だっけ。まず私がフラロにハマってること。毎週火曜と土曜の夜は配信見るから通話かけないでってこと。あと、推しの悪口言ったら別れるってこと」
 実は推し活を巡って、前の彼氏と軽い喧嘩になった。推しに嫉妬していたらしい。だんだん私の行動を束縛しようとして、それが効かないとわかるとフラロをけなし始めたので、即別れた。ただ好きなものを好きでいたいだけなのになぜこんなにも説明が必要なのだろう、と自分でも思う。
「えーお互い大変そう」
 真美が顔をしかめた。
「何で?」
 真美のことをちょっと睨んだ。すると真美は「フラロ?は花鈴の人生に重要だってことは知ってるよ」と前置きした上で私に問いかけた。
「結局どっちが優先なの。今のだけ聞くと彼氏が推しに負けてるよ」
 優先、という概念は私の中に無い。どちらも違う好きではあるが、平等だ。推しは会える日が限定されるが、現在の彼氏はだいたいいつも連絡が取れるという差はどうしても出る。もしそのことを言いたいのなら、その差は仕方ないのではないか。
「それはないよ。対等。そもそもどっちも違う種類の好きなんだから」
 あれぇ、真美って意外にメンヘラ? と冗談半分で聞いてみる。真美が頭を横にぶんぶん振りながら強く否定するので、二人で大笑いした。
「うん、でも程々にね」
 ひとしきり笑った後、急に真美が呟いた。私と真美の距離が無限に遠くなった気がして、何も言えなかった。タイミングよくバスが来たので「じゃあね」とだけ返してどこ行きかも確認せずバスに乗り込む。
 バスに乗ってスマホを取り出す。推し活チャットでは、フラロのコラボカフェのメニューと来場者特典が公開されたことについてちょっとした騒ぎになっていた。
「ひろ:灰羽くんの中華は意外でした。シオンはやっぱりパンでしたね」
「まに:めんたいチーズピザトースト、とてもおいしそうですね! ピザトースト以外も全部食べたい」
「めいちゃ:カロリーすご。asapinaのサラダボウルも一緒に頼めばカロリーゼロか?」
「ひろ:ピーチヨーグルトで中和しましょう笑」
「まに:そういえばカフェ限定グッズもいいですよね!」
「ひろ:ホットドリンクのコースター欲しいです」
「めいちゃ:お、倹約家が動いた」
「ひろ:だってコースターって実用性大ありじゃないですか」
「めいちゃ:ランダムブロマイドはその辺どうなんよ」
「ひろ:絵の資料です」
「まに:さすが我らの神絵師様! 研究熱心」
「めいちゃ:その腕くれ。いやもぎ取ってやる」
「ひろ:タスケテ」
「まに:すみません、昼休み終わりなので退席します」
「めいちゃ:爆笑爆笑」
 ここで履歴は途絶えている。コラボカフェいつだっけ。スマホに予定をメモし、だいたいの費用を計算する。うん、お小遣いで何とかなる範囲。
 チャットにメッセージを送信した。
「すずなん:今度のコラボカフェ、みんなで行きませんか」
 つい居心地がよくて、友だちと遊びに行くみたいな感覚で誘ってしまった。迷惑ではなかったか、と思い直し、「無理なら全然大丈夫です」と付け足してチャットを閉じる。
 幸い、バスは家の方角に向かっていった。

(本文終わり)

追記:キャラの名前を一部変更しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?