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「いい人」という評価の危うさ。

「いい人」という人物評価は当てになりません。
果たして「いい人」に見えない詐欺師なんてのはいるのでしょうか。
印象は磨けるもの、操作できるものですので短期間で見抜けるものではありません。そこに利害関係があるのなら、意識的、無意識的のどちらせよ利害関係なりの顔を演じます。

自分自身を振り返ってみても、いい部分、悪い部分、欲にまみれた部分、いろんな面があります。嫌いな人にまで、いい人であれることも少ないのではないでしょうか。騙すつもりはなくても、いい人なんて相手によって変わる一面でしかないのではないでしょうか。(本当にいい人もいますが)

しかも、このバイアスはバランスが悪いです。いい人という印象は簡単に演じられます。その割に相手は一度いい人と思い込んだら、なかなか意見をまげません。「いい人だったよ」という評価に対して、「怪しい」「慎重に」とアドバイスしても、「会ってもいない人は、わからない」と聞く耳をもちません。さらに一度いい人バイアスをつくると、騙されたと思いたくない欲求が顔を出し、被害が拡大しやすい効果もあります。
「わたしは騙されない」と思っている人のほうが、騙しやすいというのは、こういうことが一因だと感じます。

しかし、自分自身を含め「私は人を見る目がある」と過信したいという欲求を感じます。漫画や映画の影響かもしれませんが、人は人を見抜けると思ってしまうようです。それとも過去の成功体験からでしょうか……。

外面だけ「いい人」も、ざらにいます。
上司にはいい顔して、部下や取引業者へは別の顔をもつ人なんて、ざらにいます。

「人を見る目がない」と思いたくはないですが、短時間でその人がわかるほど、人間は単純ではないです。むしろかなり複雑です。つまり「人を見抜けるわけがない」というのが事実なのでしょう。

誰かを評価するということは、過去のパターンに当てはめて比較しているにすぎません。顔や声色が似ていると親近感が湧くことはないでしょか。その評価は過去の産物ということです。

「いい人」という印象は簡単に演じることができるわりに、とても間違いを起こしやすいものです。「いい人だと思っていたのに!!」は人を見抜けると思ってしまった自分のせいも、ほんの少しはあるのかもしれません。

今回「人に対して慎重になれ」いうわけではありません。「いい人」という評価は、「人を見抜ける」という自分自身への過信、傲慢さが生みだしているかもしれないと、気に留めてもらいたかったのです。

過去に粋も甘いも、いろいろなパターンを見てきた方は、人を見抜けるかもしれません。もしくは飲食店での定員への態度は良い指標だと感じています。お金を出すという立場で相手へどう接するか。ぽろっと違う一面が顔を出したりします。

「いい人」という評価は、あいまいな割に心地良いです。簡単に演じることができるわりに信じ込みやすいです。また、評価が間違いだとわかっても「裏切られた」と自己弁護しやすい性質も感じます。「いい人」の評価の裏には、自分の傲慢さが隠れているかもしれません。危うさをたっぷり秘めているかもしれません。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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