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手ばなれする言葉。

お疲れ様です。総務部総務課マモたろうです。

今回は「言葉が手離れする」がテーマです。

以前投稿した【頭のいい人が話す前に考えていること 安達裕哉 (著)】に”自然とあいさつできるのは、あいさつが習慣になっているからです。”という一文があります。習慣になり、身についていると(あいさつしなくては)とは思うことが無くなります。

以前、部下から話しかけられた時の私はパソコンの画面を見たままで受け答えをしていました。それは失礼なことだと気づいた後は、話しかけられ時は(パソコンから目を離し身体ごと部下を向く)と思い浮かべてから行動していました。
今では話かけられたら身体ごと向いています、言葉を思い浮かべずに。

身につくと、言葉が手離れします。

整理整頓が身についている組織では「整理整頓しましょう」という言葉はありません。自律している組織では「自律しましょう」という言葉がありません。必要な会議しかしない組織は「会議、無駄だよね」という言葉はないはずです……。

「言葉がある」ということは「身についていない」という合図の側面もあります。
「うちの人間はあいさつもできない」
「報連相もできない」
「あたりまえのことができない」
それが身についていないのは、本当にその人のせいなのでしょうか。

「そんな、あたりまえのことをいちいち……」
気持ちはわかります。でも身についていないことは育成するしかないのです。あたりまえは違うのです。

「できる人」は事前準備や仕事のコツが身についていて、言葉が手離れしていることがあります。教えるには言葉が必要なことが多くあります。
そのため「あたりまえのことを教える」のは難しく、できないことにイライラしたりします。

言葉は手離れします。
身についた証拠でもあり、教えることができなくなる側面もあります。

たまには「手離れした言葉」を思い出してみてはいかがでしょうか。
何かのヒントがあるかもしれません。

自ら手放したたほうがよい言葉もあります。
自ら手放してしまった言葉もあります。
それはまた別の投稿で……。

お読みいただきありがとうございます。

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