上村元のひとりごと その424:卒業
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
ネットのニュースを見ていると、小学校の教室にいるみたい。
いちおう、クラスメイトなのです。
自分と同じ、肉体を持ち、声を発し、日本語を話し。
言っていることも、おおよそは、理解できる。
理性も、感情も、動かなくはない、…でも。
それだけ。
あくまでも、どこまでも、いちおう、おおよそ。
ずっとそこにいると、しーんとして、冷えてきて、ぼんやりしてくる。
徐々に、吸い取られ、干からびていく。
そうなる前に、動かなきゃ。
のろのろと、椅子を立って、図書室へ行き、モナリザを見上げて、読書をしていました。
…同じじゃん。
十歳の僕と、三十八歳の僕と、やっていることは、一緒。
ネットのニュースに疲れて、iPhoneを伏せて、ドーベルマンの肖像を眺めて、本棚の背表紙を読んでいる。
むっきゃー。
唯一、違うところは、床の上、巨大な黄色いねずみとたわむれる、青緑色のぬいぐるみの猫だけ。
僕の人生が物語なら、その猫が、孤独な魂の道連れとして、最後まで寄り添ってくれました、となるところだが。
現実は、厳しい。
猫は、今この時、僕に、かけらの関心もない。
慰めてくれるどころか、大きなおしりをこちらに向けて、ピカチュウの、尖ったしっぽを、あぐあぐと、それは美味しそうにかじっては、めやーん。
うっとりと、歓喜の吐息を漏らしている。
結局、ひとりぼっち。
どうしよう。
寂しいんですけど。
天井を仰いで、目をつむり、また開けて、うつむいて。
とりあえず、ネットのニュースを、見ないでおこう。
そう決めて、しばらくの間、やめてみたりもしたのですが、いつの間にか、また、見ている。
離れていない。
とっくに、小学校は、終えているはずなのに。
何が、そんなに、未練なの?
嘘でもいいから、混じりたかった?
明るく、そつなく振る舞って、友達(仮)を増やして、同窓会とか、のぞいてみたかった?
…そうではない。
知りたいのだ。
人間は、どこまで、変われるのか。
よく、華やかな芸能界の方が、昔は引きこもりだったんです、と告白し、実は今も、人付き合いが苦手で、一人になると、全然別人ですよ、といった趣旨のことを述べていらして、そうか。
じゃあ、現在、絶賛引きこもり中の僕も、何か、きっかけさえあれば、社交的な世界に、飛び出していくことは可能なのか。
そうなった場合、ネットのニュースと、この部屋を、往復するような感じになるのか。
それとも、この部屋には、決して戻らず、ネットのニュースの住人として、生まれ変わるみたいになるのか。
教室と、図書室は、同じ学校の、違う部屋。
ネットのニュースと、この部屋は、同じ世界の、違う部屋…
…なのか?
そこは、繫がっている?
あるいは、まるで無関係?
ぶふーん。
ぐふーん。
ねずみのお腹に、べったりとうつ伏せて、気持ちよく揺られる愛猫の、満足げな鼻息をBGMに、腕組みで、熟考します。
教育を受けることの利点は、考えの枠組みを得られること。
学校というシステムを、思考のモデルケースとして採用することで、その後、何を考える際にも、比喩として、実例として、利用できる。
しかし、同時に、致命的な欠陥は。
何もかも、学校という形でしか、考えられなくなること。
現に、僕は今、社会というものを、学校と、ほぼイコールの仕組みで成り立つもの、と決めてしまっているが、そんなことはない。
ないはず。
だよね?
心配。
というふうに、学校という枠組みを離れることに、頭が、恐れをなしている。
卒業できない。
身体は、とっくに、かつてのサイズではなくなっているのに。
ぴーぷす、ぴーぷす。
しどけなく、ずり落ちながら、爆睡した愛猫に、ため息をついて、立ち上がり。
西武ライオンズのバスタオルを持ってきて、ピカチュウごと、そっと覆ってやります。
そろそろ、僕は、小学校を去らなければ。
六歳で入学して以来、たくさんお世話になりました。
よく頑張ったねと、褒めてくれる先生方は、もう、いない。
次はこちらへどうぞと、受け入れてくれる中学校も、ない。
気づいたら、みんな、終わっていた。
おめでとう。
ようやく、大人になったんだね。
卒業祝いは、犬のカバン。
ランドセルの代わりに、そこから、始めよう。
枠組みを、もう一度、作り直すんだ。
他人との対比ではない、自分のあり方を、自分で、見つけたいです。それでは、また。
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