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上村元のひとりごと その114:星月夜

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 ゴッホの作品のなかで、一番好きなのは、「ひまわり」ですが、負けず劣らず好きなのが、「星月夜」です。

 今は、どこへ行っても、街灯がついて、本物の夜空を目にすることが難しくなりました。街灯越しに見上げる空は、なんとなく黒っぽいけれど、夜空だけの夜空を見つめてから、目を閉じて、思い返すと、それは、青い。

 現代の子供だった僕が、どこでこのことを知ったのか。多分、夏休みに帰省していた、日野のじいちゃんの家で、夜、部屋の窓から、ずっと空を見ていたせいではないか。星も、月も、じっと、じっと眺めていると、だんだん、にじんで、周囲に輪ができる。「星月夜」、そのものです。

 そそり立つ糸杉と、呼応するように伸びた尖塔だけは、ゴッホの魂のサインですが、それ以外の、描かれた物は、彼が、実に優れた観察眼の持ち主であったことを証明しています。素晴らしい世界。いつまでも、見つめていたい。

 床に広げた大判の画集の前で、かがみ込むように膝を抱えて、感銘にひたっていると、背後から、とてとてとてとて。ちりんちりん。

 ぎくっとします。ミントです。

 しまった、忘れていた。紙の本を開くやいなや、たちまちにして、リアル「ゴーゴー幽霊船」が始まってしまうことを。ばれないうちに、急いで閉じなくては。

 といっても、重たい画集を、すぐには閉じられない。慌てているうちに、ミントが到着。

 ぬふーん。

 右脇から、にゅうっと首を突っ込み、ぽたぽたとしっぽを振るミントは、しかし、落ち着いている。にこにこ笑顔で、しばし、名画を鑑賞。

 もしかして、本を手に持っていなければ、大丈夫なのか。それなら、これからは、炬燵に本を置けば、読書ができるのか。

 かすかな希望に胸をときめかせていると、とてっ。何のためらいもなく、ミントは画集に飛び乗って、むふーん。丸まって、僕を見上げます。

 ……あの、すみません。名画が、見えないんですけど。

 関係ないね。にこにこ。

 ええっと……その。じゃあ、僕、パソコンで、見ようかな。「星月夜」で検索すれば、出てくるよね。うん、そうしよう。いいよ、ゆっくり、座ってて。

 うなずいて、立ち上がると、むしゃん。ミントも立ち上がり、炬燵へ歩いて行く僕の後を、とてとてとてとて、ちりんちりん。ついてくる。

 あれ、もう、いいの? じゃあ、また、見させてもらおうかな。

 ほっとして、画集のところへ戻ろうとすると、すかさず、とてっ。飛び乗って、丸まって、むふーん。

 ……何なの、ミント。何がしたいの?

 知りません。にこにこ。

 がっくりと肩を落としつつ、それでも懲りなく、むしゃん。とてとてとてとて、ちりんちりん。とてっ。むふーん。を繰り返しているうちに、ふと、ミントが真顔になって、ダッシュ。近くの床の、ホーローのボウルに、よじ登っておしりをはめ込み、ばらばらばら。こんぺいとうをばらまきます。

 今日もつやつや、底一面の、砂糖の粒。よく出したね、偉い。青緑色の頭を撫でて、タッパーに回収し、ボウルを拭き上げたところで、にーのう。今度は、するめタイム。

 にちにちにちにち。にちにちにちにち。一心に噛み続けるミントを抱えて、炬燵にあぐら、開きっぱなしの画集を遠目に、ため息をつきます。

 できることなら、僕も、立派なアーティストになりたかった。

 毎日、毎日、ひたすらパソコンに向かって、美しい文章を練り上げることだけに集中してみたかった。実生活など、なんのその、たとえ精神を病んだって、幾世代にわたって語り継がれる、傑作文学を遺して去りたかった。残念ながら、できそうもない。人生、そろそろ、折り返し。

 でも、僕には、ミントが来てくれた。

 ミントのおかげで、僕は、物書きとして、自分にできることは何なのか、真剣に考えるようになった。愛する人や、大事な物を犠牲にすることなく、書くものの質を、徐々にでいい、しかし、確実に高めるためには、どうすればいいのか、日々模索するための原動力が供給された。本当に、ありがたいこと。

 大満足で、ぴーぷす、ぴーぷす。寝てしまったミントを、胸に抱え直し、ぽさぽさした毛皮を指で整え、寄り添って、横になります。久しぶりの雨の午後、たまには、昼寝もいいものです。それでは、また。

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