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上村元のひとりごと その111:草原

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 第二外国語は、ロシア語だったんだ。大学でね。十八年も前の話。

 夜寝る前、ミントは、タンスに乗っかって、きゅーにゅ、きゅーにゅ、と歌います。寝る支度を済ませて、僕も、なんとなくそばに立って、青緑色の毛皮を撫でています。

 ぬいぐるみの猫であるミントは、何語で生きているのだろう。そして、僕がミントの言うことを、ある程度まで理解できるのは、どうしてだろう。

 やっぱり、僕の妄想なのか。僕に、別の言語を創作できるとは思えないが。考えて、ふと、そういえば、昔、ロシア語を習ったな、と思い出し、ミントに話しかけてみたのです。

 んふ。相づちのような、そうでないような声に気をよくして、続けます。

 今はどうだかわからないけど、その当時は、僕の大学の文学部では、ロシア語は、あまり人気がなかった。初級ロシア語の授業に、初めて行ってみたら、なんと、出席者は、僕一人。

 一人? 場所を間違えただろうか。いや、確かに、ここだ。

 不安だった、わけではない。その頃、僕は、人生最大の鬱で、いつでもぼうっとしていた。感情が、いまひとつ、はっきりしない。一人だろうが、大勢だろうが、どうでもいい。とにかく、座って、待っていた。

 むがー。

 ごめん、うるさい? いいよ、聞いてなくても。歌ってていいよ。

 ぬふーん。

 ご機嫌なソングタイムを、だいなしにしないように、でも、語り出したものを、中途半端にしないように。つぶやきで、続行。

 今思うと、若い先生だった。二十代だったかもしれない。色白の、ぽっちゃりとした、ロシア人の、男の講師は、日本語もあまり上手ではなく、ロシア語に、英語を交えて、キリル文字も知らない僕のために、初めは、テキストを使って、一生懸命教えてくれた。

 鬱に閉じた学生と、言葉のおぼつかない教師。コントにすらならない。

 そもそも、なぜロシア語を受講しようと決めたのか、それすらも、記憶にない。それくらい、何もかも、どうでもよかったみたいだ。先生の名前も、覚えていない。ゴルバチョフ、に似ていたような気がする。ゴルギエフ、だったかな。

 でもね、僕は、歌えるんだ。ロシア語で、たった一曲。これだけは、きっと、死ぬまで忘れない。

 のっぺりと無反応な僕に、業を煮やしたのだろう。ある日、先生は、大型のCDデッキを持ってきて、特に説明もなく、スイッチを入れた。きれいな女の人の声が、静かな教室に響いた。

 ポーリュシカ、ポーレ。ポリュシュカシロカ、ポーレ。イェフダポパリュゲローイ、ブロッシュラバブレメニゲローイ。

 先生は、青い目で僕を見つめ(その時初めて、先生の目をまともに見た)、一緒に歌おう。確か、英語で、そう言った。

 それから毎回、僕は先生と、その歌を歌った。

 聞いたこともなかった。意味もわからなかった。でも、僕は、覚えた。音源と同じ速さで歌えるようになって、先生と二人、いや、歌手の人と、三人か。みんなで歌った。がらんとした部屋で。

 プレイリー。ジャパニーズ?

 プレイリー……草原?

 イエス。ソウゲン。

 曲の解説は、これだけ。そうか、草原の歌なんだ、と、僕はそれだけ胸にしまって、ロシア語の初級を終えたんだ。

 ぐがー。

 ごめん、もう、黙るよ。悪いね、邪魔して。ねえ、でもさ、訊いてみたかったんだけど。ミントは、日本語、わかるの? それとも、テレパシーみたいな力でもあるの?

 ぬぎー。

 わかった、ごめんよ。またいつか、気が向いたら、教えて。

 ため息をついて、むくれるミントの背中を撫でて、その後、二度と会うことはなかったロシア人の教師を思います。

 「ポーリュシカ・ポーレ」という題で、日本でも有名であるらしいあの曲の、歌詞を調べようと思えばできるけれど、しない方がいいような気がして、まだ調べたことはありません。

 草原が、今でも、僕の身体に広がっています。

 乾いた植物、曇った空。あるのかないのか、わからない道。どこへでも行けるような、どこにも行けないような、哀しく、澄んだ気持ち。そして、なぜだか、死の気配。

 先生の心象風景だったのか、ロシア人に通底する何かだったのか。日本を出たこともない、これからも出ないであろう、僕のなかに、かけらが残されたことを、とても不思議に思います。

 ミントはまるで興味がないようなので、誰にも継承できないかもしれないので、ここに、そっと書き残しておきます。意味によらない異文化交流が、確かに行われたことを、どなたか、心に留めて下されば幸いです。それでは、また。

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