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千文小説 その290:濡れても

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 それほど好きとは思わなかったものを、深く愛するようになるのは、喜ばしいこと。

 問題は、ある程度の期間にわたって、熱狂的に執着していたものが、今はもう、まるで何も感じなくなってしまった場合。

 …恋愛話のようですが、そうではない。

 いや、ある意味では、そうなのかも。

 相手が、人か、物か、それだけの違いなのかも。

 別れる方が、付き合い始めるより、大変なのです。

 それを見越して好きになれ、と言うのは、あまりにも、酷。

 というわけで、苦しみは、どうしても、ついて回る。

 さあ、僕にとっての、終わりかけの恋とは、何か?

 じるふーん。

 みるふーん。

 ぽたぽた。

 すりすり。

 我が愛猫は、先ほどから、MacBookの画面に、うっとりと見入り、べったりとへばりついています。

 猫の愛は、なかなか冷めないらしく。

 熱愛する歌い手は、ミントにとって、三年間、いつでも一人だけ。

 もしかしたら、一生になるか。

 うらやましいことです。

 人間は、だいたい、そうはいかない。

 少なくとも、僕は、いかなかった。

 諸々の、かつて愛した、物たち、人たち。

 そのなかで、今もなお、思い出してはつらくなる、筆頭トラウマ失恋のお相手は。

 読書です。

 紙の本を、失職してから、めっきり読まなくなった。

 愛猫が、僕が読書していると、パニックを起こして暴れ回るから、というのもあるが、所詮は、言い訳。

 本気で読みたければ、愛猫が寝ている時間に、こまぎれであっても、手に取れるはず。

 それをしないということは、僕は、本が読みたくないのだ。

 読まなくても、生きていけるのだ。

 それって…。

 …物書き?

 ほんとに?

 というのが、苦しみの、最もきついポイント。

 読書をしない小説家というのは、いるのか。

 いないだろう。

 語義矛盾どころではなく、下手をすると、存在意義に反しかねない。

 物書きたるもの、すべからく、本を読むべし。

 だよね?

 そうでしょう?

 ぐるふーん。

 むるふーん。

 ぽたぽた。

 すりすり。

 いやしくも、物書きを名乗りながら、本も読まず、パソコンも使わず。

 iPhoneで、左手で、フリックで、文章を入力しているというのは、なんなの?

 右利きのくせに。

 小説家のくせに。

 喧嘩売ってる?

 そんな声が、頭のどこかに、常に響いて、もやもやして。

 エクスキューズとして、右手で打ってみたり、本棚の前に立ってみたり、するものの。

 結局、戻ってしまう。

 嘘はつけない。

 愛していないのに、大好きだよなんて、言えるものか。

 ごるふーん。

 ろるふーん。

 ぽたぽた。

 すりすり。

 ありがたいことに、King Gnuの新曲は、悩みがどうにもならなくなった時に、さりげなく届きます。

 自分だけで抱え込まなくていいと、背中を、ぽんと叩かれる感じ。

 とても励まされる。

 重ね重ね、御礼申し上げます。

 といっても、今回の「雨燦々」が、別れに伴う罪悪感について、直球で歌っているわけではない。

 「BOY」に「逆夢」を足して、「壇上」で割った仕上がりで、どちらかと言うと、明るく、和やかなムード。

 でも、やはり、根底に漂うのは、破れかぶれのやけくそ感。

 雨が燦々と降り注ぐ、という逆説は、言葉遊びとして用いると、まるで説得力を持たない。

 腐っても物書き、それくらいの違いは、聴き分けられる。

 ずぶ濡れになるのが、心底嫌だと思っている人にしか、この歌詞は、書けません。

 嫌なんだけれど、傘を忘れたので、仕方ない。

 縮こまって、雨宿りをし、無為にやむのを待つなんて、みじめったらしい。

 それよりは、濡れびしょで、そもそも錆びついている自転車で、愛する人のもとへ、飛んで帰りたい。

 そんなに濡らして、馬鹿だね。

 次は、傘を持って行きなよね。

 そんなふうに、笑って欲しい。

 ぎるふーん。

 そるふーん。

 ぽたぽた。

 すりすり。

 太陽に照らされると、悲しくなる。

 まともには、生きられないから。

 小説家なのに、右利きなのにと、責められている気になるから。

 いいんだ。

 紙の本だけが、物書きの作品ではない。

 右利きを、左利きに変えたからとて、恥じることは何もない。

 胸を張って、そう言い切るために、僕は、書く。

 小さなiPhoneで。

 誰にも読まれなくとも。

 にふ…。

 うと、うと。

 …。

 ぴーぷす、ぴーぷす。

 MacBookの上で寝落ちした愛猫の、青緑色の、大きなおしりに、そっと、西武ライオンズのバスタオルを掛けてやります。

 いつだって、ずぶ濡れのまま、楽しく生きたいです。それでは、また。

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