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上村元のひとりごと その110:スコップ

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 木製の柄に、赤い、プラスチックの取っ手と、先端。多分、雪かき用。

 農家の納屋でしょうか。それとも、ご家庭の倉庫か。トタン風の屋根に、コンクリートの壁。わずかに、出入り口へ通じると思しき石の段が、隅に見えている。

 強烈な日差しに照りつけられているのは、画面の中央だけ。納屋か倉庫か、その屋根も壁も、ダークトーン。周囲に茂っている草木も、鬱蒼、という言葉にふさわしい翳りで、主役の輝きを引き立てている。

 スコップです。

 なにげなく、屋外の壁に立てかけられて、夏の光を反射する、冬の道具。哀愁が漂うかと思いきや、しかし、そこにあるのは、圧倒的な存在感。あらかじめ定められた用途など、生命の前では無に等しい。堂々と、スコップは生きています。

 ため息をついて、知り合いのカメラマンである、伊勢さんが送ってくれた新作を眺めます。

 そう、嬉しいことが一つ。

 この間、伊勢さんのテントウムシの写真に寄せた、短文の原稿料が、昨日、ついに振り込まれたのです。

 二ヶ月ぶりの入金です。あんまり嬉しくて、通帳を何度も、何度も見つめ、間違いじゃなかろうか。すぐ消えてなくなるんじゃないか。疑いに疑った挙句、いや、これは、本物。本当に、僕は、無収入を脱したのだ。しかも、書くことによって。本業によって。

 嬉しさは、大事な人と分け合いたい。さっそく、ミントに、ビールをご馳走しました。奮発して、ビールのなかでは一番好きな、サントリー社の、プレミアムモルツを。ミントも、喜んで飲んでくれました。

 ベッドの上、髭剃り機を前脚で抱えて、すりすり、めやーん。ベしべし、ぬふーん。気持ちよくたわむれているミントを見ながら、しみじみと、伊勢さんとお仲間に感謝します。ありがとうございます。あなた方が声をかけてくれなかったら、僕は、永遠に無収入だったかもしれない。

 写真と短文のセットは、基本的に、インターネットで無料公開されていますが、希望者には、額装したプリント版も販売するとのこと。そちらもぽつぽつと、購入申し込みが届いており、売り上げに応じて、原稿料を上乗せするシステムであると聞いています。

 つまり、良いものを書けば書くほど、少しずつ、収入が上がるということで、ここはひとつ、気合いを入れてのぞまなければならない。

 と意気込んで、前回、見事に失敗したので、今回はだいぶ慎重です。

 意気込みほど、物事を駄目にするものはありません。意気込むくらいなら、やる気がない方が、まだまし。数だけは書いてきて、ようやくそれだけは、痛いほど思い知りました。

 欲なのです。

 意気込みの底にあるものは、お金が欲しいとか、名前を売りたいとか、認めて欲しいとか、とにかく、欲。己の欲と、戦い続けるために書いている。そう言って、過言ではない。

 欲を消し去りたい、そう願うことさえ欲ならば、この厳しい人生、いったいぜんたい、何を信じればいい。

 欲との戦いを、苛烈に、切なく歌う「Prayer X」のサビが、ぐるぐると、頭の中で回り出したのを察したように、ミントが、とてっ。ベッドから降りて、ちりんちりん。僕のあぐらの膝に飛び乗り、きゅーにゅ、きゅーにゅ、と催促です。

 仕方なく、パソコンを開いたまま、iPadを立ち上げ(ミントは、iPadから流れる以外の音楽を、音楽と認識しません。一度、パソコンで、YouTubeを起動してみたのですが、全くの無反応。何が違うというのでしょう?)、ミントが熱愛してやまない、King Gnuの名曲たちをBGMに、ぼんやり文章を考えます。

 断言するまでの根拠はない。でも、なんとなく、この、ぼんやり、というのが、物を書く際には、最もふさわしい態度であるらしい。

 弛緩しているわけではない。だらしない、とは、明確に違う。かといって、とぎ澄まされているわけでもない。緊張している、とは、また違う。

 ぼんやりと、真夏の雪かきスコップを眺めて、耳の端で音楽を捉えて、ぽたぽたと、ご機嫌に振られるしっぽに腹をくすぐられながら、だんだんと、形を持ってくる、見えてくる。そんな文章が、良いようです。

 僕が書くのではない。でも、僕にしか書けない。謙虚さと、誇りを、切り離すことはできない。それはきっと、同じ何かの、違う顔。

 集中して書いていたら、にーのう。あっという間に、するめの時間。

 書いて、休憩して、読み返し、書き直して、提出する。それが、物書きの幸福なルーティンです。それでは、また。

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