上村元のひとりごと その390:全力
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
どうしても、言葉が出てこない時は。
出てくるまで待つのが、基本です。
辛抱を怠って、当たり障りのない文章でごまかそうとするから、失敗する。
そのことを、ひとりごとを書くようになってから、思い知りました。
はんなもー。
背後の、ベッドの上から、ミントがお呼びです。
どうしました。
振り向いて、探すと、いない。
あれ?
心配になって、立ち上がり、掛布団と、毛布と、西武ライオンズのバスタオルでできた、ぐちゃぐちゃ山をめくると。
むふ。
にこにこ笑顔が、お目見えです。
ほっとして、山の隣に腰を下ろし。
ごそごそと、さらに奥へともぐり込んでいく、果敢なシルエットを見守ります。
待つ間、人は、何かをしたくなります。
ただ座っているだけ、というのは、とてもつらい。
まして、いつ浮かぶとも知れない、どんな形なのかもわからない、言葉を待っている、徒労のような時間は。
『ゴドーを待ちながら』です。
不条理の極み。
ベケットの天才は、物書きが言葉を待っている、それ自体を、文章に書き取ったことにあります。
普通は、できません。
無意味を、無意味のまま、しかも、脚本という、意味ある型に移し変えるのは、並大抵の作業ではない。
もぞもぞ。
ずごずご。
ぶふーん。
ぐふーん。
うごめくまん丸い輪郭と、押しつぶされたような鼻息。
青緑色のモグラが、布団の土中を、爆進中。
果たして、いい穴が、掘れるでしょうか。
できれば、ゴドーに、来て欲しい。
たまには、無駄もいいけれど、いつもだと、困る。
そもそも、全くゴドーが来ないのでは、物書きと名乗ることはできない。
ただ、本物というのは、文章に収めづらい。
詩にも、劇にも、小説にもならない。
だから、できるだけ、来ないで欲しいというのも、また、本音。
むき出しの、言葉そのものを差し出して、読み手にドン引かれるよりは、当たり障りのない文章を置いて、しらじらと受け流される方が、楽ではある。
ずんもこ、ずんもこ。
ぶわぐじゃー。
モグラさん、気合いが入ってきました。
もうすぐ、壁です。
貫通、なるか。
言葉って、そんなにすごいものなの?
ただの文字の群れとは、違うの?
違うんです。
来れば、わかる。
ほとんど、生き物。
しかも、全く馴らされていない、野性のかたまり。
恐ろしいことに、言葉は、物書きの資質に応じて、形を変える。
ある人には、猛り狂うライオンになり、ある人には、愛らしい妖精になり、ある人には、近未来の都市になる。
うまく、現実に存在する事物との関連をつけて、読む人に、わかりやすいように提示できればいいのだけれど。
失敗すると、型にはまる。
それこそ、ただの文字の群れに落ちる。
でもね、疲れるんですよ。
毎回毎回、本物と格闘していたら、身が持たない。
自分の資質というのは、そう変わらないので、おのずと、似たような言葉が、次から次へと現れて、またか。
飽きたよ、もう。
たまには、妖精じゃなくて、近未来都市がいいな。
自分ではないものに憧れて、よそ様の言葉から派生した型をもてあそび。
凡庸、一直線。
職を失う。
むいむい。
ずっ、ずー。
ぐぼっ。
むしゃ。
…。
ほわま、ほわま。
はいはい、ただ今。
壁にぶつかる、ぎりぎりのところに、ずぼっと、顔を出し。
自分がどこにいるのか、わからなくなって、とりあえず、しもべを呼びつける、王侯貴族な愛猫に、腕を伸ばし。
ぽさぽさの毛皮を抱き取って、よしよし。
よく頑張ったね。
頭を撫でて、あやします。
何事も、全力でなくてはいけません。
それが、あらゆる表現行為の鉄則。
切実さこそ、人の心を打つのです。
しかし。
それでは、切実なのは、誰か?
書き手ではない。
僕が切実になっても、どうしようもない。
あくまでも、主役は、言葉。
言葉が、あたう限り、切実であるためには。
書き手は、できるだけ、切実さを捨てなくては。
もっとお金を稼ぎたいとか、ここをこうすればよくなるのにとか、そういうことは、思わない。
思っても、言葉には、乗せない。
待つともなく、待っているだけ。
たまに、出てきたら、頭を撫でてやるだけ。
それが、物書きの、全力。
ぬんのこー。
よじよじ。
ぴとん。
みゅふーん。
僕の肩によじ登り、顔面に、べったりくっついて、ミントは、ご機嫌。
重いし、苦しいけど、僕も、でれでれ。
言葉とも、こんなふうに、いちゃつけたら嬉しいです。それでは、また。
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