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上村元のひとりごと その21:イヤホンジャック

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 ライターになって間もない頃、取材先の店主の奥様から、趣味で手作りしたものだと、小さな飾りをいただきました。

 溝の刻まれた、白いプラスチックの棒のてっぺんに、黄色い星が輝いていて、何に使うのですか、とお訊きしたところ、イヤホンの差し込み口に入れて、埃の侵入を防ぐのです、とのお答えでした。

 確かに、イヤホンを差していない時、差し込み口はただの穴で、放っておけば、埃にまみれ、いざ使おうとしたら、差し込めないほど積もっていた、というのでは大変だ。若い僕は、納得し、当時奮発したばかりのMacBookに、お守り代わりに付けました。

 悲劇が起こったのは、昨日の昼でした。

 何の予兆もなかった。少なくとも、僕にはまるで感じられなかった。いつものように、MacBookで原稿を仕上げ、保存して、安堵のため息をつきながら、画面を閉じ、デスクの奥へ押しやった、その、瞬間。

 ころん、と軽い音がしました。何だろう、と首を傾げ、マウスの脇に転がった、見慣れない、黄色い何かを拾い上げました。

 星だ、と認識してから、事態を把握するまで、たっぷり一分はかかりました。認めたくなかった。とても、信じられない。

 そこからの大騒ぎは、できれば、思い出したくありません。

 イヤホンの差し込み口に、プラスチックの棒が刺さったまま、抜く手段が失われてしまった。言葉にすれば、これだけのことだし、物理的にも、黒い穴に、白いものが詰まっているだけ。普段は、ワイヤレスイヤホンを使っているし、僕にとっての損失は、大した額ではない。

 それなのに、取れた星を握りしめ、放り出し、僕は、プラスチックの先端、わずか五ミリほどの突起に、指を掛け、猛烈に引っ張り始めました。

 爪が折れるんじゃないか、とちらっと思ったが、そんなのは、どうでもいい。ぎいぎい引っ張ること、三十分。取れない。

 顔を真っ赤にして、iPadを起動し、撤去の方法を、狂ったように検索し、財布を片手に部屋を飛び出し、爪楊枝と、接着剤を買って戻りました。

 プラスチックの先端に、爪楊枝の頭部を接着しようと、格闘すること、一時間。着かない。

 半泣きで、工具を引っ張り出し、錐のようなものを振りかざし、プラスチックに突き立て、親の仇とてこれほどではない、という力を加えて、大きなカブの逸話を思い浮かべながら、ぐうっと腰を入れること、五分。

 ぽん、と音を立てて、床に落ちたプラスチックの隣に、僕もまた、うつ伏せで倒れ込みました。動けない。

 右手の親指と、人差し指の爪は、肉と剝がれて、しくしくと痛み、首と肩、股関節にも後遺症が残りました。

 穴はうかつにふさぐものではない、とか、急いては事を仕損じる、とか、結局、力任せが一番強いとか、苦い教訓は、いくつも得られましたが、僕がお伝えしたいのは、それらではない。

 イヤホンジャックです。

 お恥ずかしいことに、イヤホンジャック、という単語を、その時まで、僕は知らなかった。イヤホンの差し込み口、と、用途を代用して呼んでいた。僕にとって、イヤホンジャックは、ただの穴だった。

 狂ったような検索の過程で、イヤホンジャックには、使用目的に応じて、三つの規格があること。情報の出力方式が異なるため、諸機能のさらなる集約を目指したアップル社は、ある時期以降のiPhoneに、イヤホンジャックを搭載しなくなったこと。などの基礎知識とともに、僕の脳内辞書に、イヤホンジャック、という新しい単語が登録され、それからもう、イヤホンの差し込み口、という表現を、二度と使えなくなってしまった。

 折れた星のおかげで、僕は、前の日まで見ていた風景を、あっという間に後にしました。

 イヤホンジャック、と、イヤホンの差し込み口、は、同じではない。意味は通じるが、拠って立つ世界が違う。物書きの端くれとして、些細ながら、決定的なこの相違に、目をつむるわけにはいかない。

 イヤホンジャックに、僕はもう、何も差しません。埃が積もるなら、積もればいい。掃除機で、きれいに吸ってあげましょう。

 思い上がりを戒めるように、黄色い星は、今、じいちゃんのラジオの前で輝いています。名前は大切です。正しく呼びましょう。それでは、また。

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