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上村元のひとりごと その476:とこしえ

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 一生使うぞ、と決意した物ほど、あっけなく、ゴミになります。

 逆に、全く思い入れなく、どこで買ったのかも忘れてしまったような物が、何十年と、一緒にいる。

 何度考えても、不思議で仕方ない。

 どうして、そういうことになるのか。

 思うに、一生使うと断じること自体に、そもそも、無理がある。

 時間の存在を、考慮に入れていないから。

 一生、と言った、その時点で、人生の何分の一かは、確実に終わっていて、そこから使い始めたとしたら、一生使うことなんて、初めから、できない。

 あるものを、ないことにするのは、相当なパワーが要ります。

 にんぎー。

 自分のぽんぽこお腹を、あるいは、ベッドの厚みを、ないことにして、壁との隙間を、優雅にすり抜けようとするも、果たせず。

 ぶち切れて、逆上する、かなりおまぬけな愛猫に、ため息をついて、立ち上がり。

 しっかりはさまっている、大きなおしりを、よいしょ。

 両手で抱えて、すっぽ抜き、ぶんむくれの青緑色の毛皮を、揺すってなだめます。

 厳然たる時間を、その厚みを無視して、いともたやすく、一生、などと言えるのは、若い証拠。

 できるなら、いつまでも、若いままでいたいけれど、それこそ、時間に阻まれる。

 相応に、年を重ねて、今、ここに、一生使うと言える物はあるか。

 …身体、かな。

 この肉体ばかりは、取り替えが利かないものな。

 物心つく前から、身体はあって、最期の瞬間、意識がなくなっても、消えはしない。

 すごいなあ。

 最強じゃないか。

 なんで、これまで、気づかなかった?

 これからは、うんと大事にしよう。

 一生、死ぬまで使うんだ。

 身体よ、どうぞ、末長くよろしく。

 …なんて口上が、どうにも白々しいのは、身体と自分が、車とドライバーのように、分離できると思っているから。

 違うのです。

 そうではない。

 僕は、そんな、偉そうなことを言える立場にない。

 身体よ、などと、上から目線で語りかけている、その意識の土台は、他ならぬ、この身体。

 どこまでも、ひとりごと。

 もちろん、ひとりごとも、極めれば、対話になりますが、それはあくまで、仮定された作話形式であることを、忘れたくない。

 自分に語りかけて満足していては、物書きの、看板が腐る。

 出会いたい。

 自分以外の、真の他者に。

 確かに存在する、異物に。

 ぬんふむー。

 なかなかご機嫌の戻らない愛猫を、あの手この手で構ってやりながら、再度、炬燵に座り、正面の壁、ドーベルマンの肖像を見つめます。

 時間こそ、他者。

 決して取り除くことのかなわない、キング・オブ・異物。

 全ての物体は、時間の存在を具現化するためにある。

 物が劣化することによって、ああ、年を取ったなあ、と知れるように。

 とこしえに、時間は、我々とともにあります。

 大事にしないと。

 寸暇を惜しんで勉強を、とか、そういう意味ではない。

 反対です。

 こちらの都合で、ちまちま区切ってばかりではなく。

 伸び伸びと、感じてみる。

 待ってみる。

 愛猫のにこにこ笑顔を、急かさず、焦らず。

 にーどゅるる。

 苦戦の末、やっと、気持ち良く、喉を鳴らし始めた愛猫に、ほっとして、ありがとう。

 豊かな時の恵みを、ふんだんに賜りまして、恐縮です。

 心の中、そっと手を合わせ、何事もなかったように、執筆再開です。それでは、また。

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