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上村元のひとりごと その118:歯医者

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 唐突に、歯の詰め物が取れました。

 朝ご飯の後、歯磨きをしている時でした。かちかち、こりこり。なんだか、歯ブラシの動きとともに、変な音がする。

 気になりながらも、続行しているうちに、ぽこっ。きれいに取れた。

 何度も経験していることですが、取れた詰め物を、手のひらに載せて、見下ろす気分というのは、……無言。言葉にならない。

 これがまだ、異物である詰め物だからいいけれど、もし、自分の歯そのものだったら、と思うと、ますます、無言。

 身体の一部が剝がれ落ちるのは、ある意味で、とても不吉なことです。まして、口内から、見たこともないような金属が、破損して、排出されるなんて、もはや、ホラー。早く修理しなくては。無駄に焦ってしまう。

 痛くも痒くもないのです。それでも、こみ上げる、この不吉な感じを、今すぐなんとかして欲しくて、むずむずする。歯医者に、電話しなくっちゃ。なるべく早い時間で、予約を取らなくっちゃ。

 しかし、考えてみれば、事故で歯が欠けて、大量出血している、とかではない。わずか数ミリの金属片が、静かに転がっているだけ。

 深呼吸しよう。落ち着け。僕より、はるかに深刻な症状の方もいるはず。その人を押しのけてまで、早い予約を取らなくたっていいじゃないか。

 保険証は、失職した際、新しく作り直して、財布に入れてある。診察券を、探さないと。どこへ行っただろう。

 しばらく、定期検診をさぼっていました。両親のおかげで、歯は丈夫、たまに詰め物が暴れ出す以外は、困ることもない。ありがたいことです。

 あった。クローゼットの、ショルダーバッグの中、カードの山に埋もれていた。電話、電話。

 幸い、休日前後でもない、平日の午前中。三十分後の予約が、すんなり取れました。歯医者までは、歩いて十分くらい。ゆっくり支度して、充分、間に合う。

 しかし、問題は、歯ではありません。

 僕が着替え始めたのを見て取り、すかさず、黄色いエコバッグを口にくわえて、ずるずると引っ張ってきて、ぽたぽたと、嬉しそうにしっぽを振ってこちらを見上げる、青緑色の生き物。ミントです。

 僕が買い物に出る時、ミントは、エコバッグに入って、いつでも一緒についてきます。その辺を歩くくらいなら、なんということはない。エコバッグを肩にかけている人は、このご時世、たくさんいる。

 だが、歯医者では、手荷物を、受付に預けなければいけない。

 その際、ちらりと中身も見えるだろう。万が一、歯科衛生士の方と、ミントの目が合って、めやーん。ひと鳴きでもしたら、大変なことになる。

 基本的に、医療機関に生き物を連れて行くことは、禁じられている。たとえ、ぬいぐるみの猫であっても、動いている以上、生き物とみなされてしまう。ここはひとつ、ミントに、留守番を頼まなくては。

 でも。

 連れて行ってもらえることを、かけらも疑わない目で、じいっと見上げられているというのに、どうして、断れようか。

 なんと言えばいい。ミントは、猫だから、人間の歯医者には行けないんだよ。それだけで、果たして、伝わるのか。

 ひどくショックを受けて、ベッドの下に隠れきりになったり、食欲を失ったり、最悪の場合、出て行ってしまったり、しないか。

 嫌だ。そんなのは、耐えられない。そんなことになるくらいなら、僕は、歯医者なんて行かない。

 仕方なく、しゃがみ込み、正座でミントに話しかけます。真剣です。

 あのね、ミント。

 んふ。

 僕は、この通り、歯の詰め物が、取れちゃってね。これから、歯医者に行くんだよ。修理にね。

 ぬふ。

 もちろん、ミントも一緒に、行こうと思うんだ。でもね、診察は、結構長引くかもしれない。他の患者もいるだろう。その間、静かに待っていてくれるかな? 僕とは、少し離れた場所で。

 ぬやー。

 にこにこと、バッグを口にくわえたまま、舌足らずにうなずくミントを見て、こうなったら、仕方ない。連れて行こう。決意して、エコバッグにミントを詰め、肩に掛けて、いざ、出陣。

 ミントは、歯医者で、大人しくしていられたか。次回、改めてお話したいと思います。それでは、また。

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