上村元のひとりごと その479:杭
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
書き出しが、肝心なのです。
最初の一文で、全てが決まる。
良い物を書きたかったら、待っていなくてはならない。
言葉が聞こえてくる、その時を。
焦っていたり、だれていたりすると、外してしまう。
物書きとして、日々、鍛錬している成果が、全部、パー。
聞くことです。
書くのは、後からでいい。
生きた言葉、その時限りのきらめきを、紙の上、画面の中に、落とし込むために。
ふんにー。
原稿用紙に乗っかっては、どかされて、むくれる愛猫をなだめつつ、しかし。
ミントは、僕が本当に集中している時は、決して、邪魔をしない。
堂々と乗っかってくるということは、僕の集中が、いまひとつ、不完全ということ。
この頃、ミントが乗ってくる率が、かなり高くて、つまりは、スランプ。
なんとなく、文章が、上滑りしている。
書いときゃいいんでしょ、という投げやりが、随所にかいま見える。
それは、なぜか。
ぬんふー。
執拗に、炬燵によじ登る愛猫に根負けして、手を放し。
ぽたぽたと、しっぽを振りながら、にこにこと、こちらを見上げる、青緑色のぬいぐるみと、しばし、にらめっこです。
失職したては、切迫感が半端なかったことに加えて、外界との接触が、一時的に、ゼロ近くまで下がった。
世間的には、悲しいことだが、物書きとしては、最高の環境。
安心して、持てる力を、言葉を聞くことだけに費やせた。
ところが、このところ、父の死や、インターネットの不具合、スマホの買い換えといった、外向きの椿事が立て込んで。
手続き等、自分を外から、データを通して見つめる機会が増えて。
いつの間にか、耳が閉じていた。
聞く時は、自分を忘れる必要がある。
見る時は、くっきりと、自分を意識するので、方向性、真逆。
愛猫の毛皮にからまる埃を見て、そろそろ、拭いてやらないと。
埃まみれでも、可愛いなあ。
でれでれと、のっちりほっぺたを揉んでやりつつ、考えることを、そのまま、文章にしてしまうと、どうにも、締まらない。
見ることは、果てしない拡張です。
掛け算に近い。
あれとこれとを組み合わせ、どんどん、桁を増やしていく行為。
対して、聞くことは、割り算。
割って、割って、どんどん、小さくしていって。
それでも割り切れない、かすかな余りを並べて、文章は、組み立てられる。
割るためには、杭が要る。
しっかり、がん、と打ち込んで、とめどない乗法の世界に、ひびを入れないと。
とてとてとてとて。ちりんちりん。
ぽてっ。
にーごろろ。
どかそうとしていないのに、ミントは、自分で炬燵を降りて、僕の膝で、丸くなりました。
良い兆候です。
方向性は、正しいみたい。
では、具体的に、杭とは何か。
意志です、と言いたいところですが、違う。
無意志です。
完全に、何も思うところなく、ぼうっとしていると、割れる。
ごく自然に、力は使わずに。
何が、割れるの?
さあ、何だろう。
割れる、としか言いようのない感じがして、割れ目から、言葉が湧いてくる。
噴き出してくる。
ぴーぷす、ぴーぷす。
爆睡したぽんぽこお腹を、西武ライオンズのバスタオルでくるんでやり。
滴る言葉の奔流を、恭しく、原稿用紙に導きます。
杭はまだ、充分使えるようです。それでは、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?