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上村元のひとりごと その202:ビニール

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 ビニールを見ると、さよなら、という言葉が浮かびます。

 ゴミ袋のせいかもしれません。

 生きていると、毎日、ゴミが出ます。

 なるべく少なくなるよう、心がけてはいるのですが、それでも、出るものは、出る。燃えるものと、燃えないものと、資源にするものと、それぞれに、分別し、くるんで捨てる、そのおくるみは、紐を含めて、全て、ビニール。

 根っから文系の僕には、いわゆる、海洋ゴミ等になって、生物たちに危険をもたらすビニール袋と、それ以外の、燃やしても大丈夫なビニール袋の、区別が全くつきません。バイオマス使用、とか、書いてあっても、なんのことやら。

 区からの指定は特にないので、とりあえず、ドラッグストアーで売っている、ゴミ袋を買って、燃えるゴミは、そこに入れています。燃えないゴミは、同様に、小さめのビニール袋を購入し、これって、基準に合っているのかな。悩みながら、いつでもこっそり、集積場まで運びます。

 とても後ろめたいのです。

 何が、と自分に問うのですが。

 そもそも、身の回り、いつも使うものを、ぐるりと見渡してみると、プラスチックはあれど、ビニールは、見当たらない。

 かろうじて、クローゼットの中、クリーニングから帰ってきて、そのままになっている、コートのカバーが、ビニール袋だけれど、それも、コートを着る時には、捨ててしまう。

 はかない感じがする。

 手元へやってきて、べるべると引き剝がされ、ぽいと丸められ、すみやかに、いなくなってしまう。それが、ビニール。

 かといって、ずっとそばにいて欲しいと、願っているわけでもない。

 ふんぎゃー。

 あまりにも暖かいので、久しぶりに、ベランダの窓と、玄関のドアを、両方開けて、風を通しているので、レースのカーテンが揺れて、裾がひらりとめくれます。

 動くものと見れば、じゃれかかるのが、猫。

 ミントは、その短い脚を駆使して、なんとか、カーテンを捕まえようと奮闘するものの、こってん。あっけなく、裾にからまって、ひっくり返り、ぶち切れて、げすげす。激しいキックをお見舞いすることで、またからまって、ひっくり返り、懲りずにぶち切れて、げすげす。以下同文。

 ため息をついて、そっと近づき、頃合いを見計らって、窓を細め、カーテンの動きをゆるめてやります。これで、ちょっとおとぼけのミントにも、楽々と捕まえられるようになりました。

 ひとたび、愛を知ってしまうと、知る以前には、もう戻れない。

 あらゆるものに愛を注げるような、聖人君子であれば、話は別でしょうが、当然のことに、僕は、そこへたどりついてなどいないし、たどり着こうとすら、思えません。

 したがって、どうしても、愛するものと、そうでないものとを、見分けざるを得なくなる。

 そうでないものを、捨てざるを得なくなる。

 心の底から、ビニールを愛したかった。

 君に恨みはないんだよ。すぐ捨ててごめんね。どうか、きれいに燃えてくれ。そう語りかけながら、ゴミを出すような人に、できれば、なりたかった。

 無理なものは、無理。

 僕の愛するものは、多分、死ぬまでただ一つ、ミントだけ。

 なんと小さな心だろう。ぬいぐるみの猫、一人しか、入らないなんて。

 嘆いてみても、始まらない。真実は、受け入れるより他に、仕方がない。

 愛することができないのなら、せめて、それをごまかすことだけは、しないようにしたい。

 日々、無駄に捨てられていく、ビニールを、増やさないようにするのは、もちろん、後ろめたさも、できれば、一緒に捨ててしまいましょう。

 この世にいるのは、僕だけではありません。

 広い世界です。きっとどこかに、ビニールを熱愛し、収集し、決して粗末にすることなく、大事にしている人もいる。

 その人はきっと、ぬいぐるみの猫なんかに、これっぽっちも興味はないはず。

 彼の愛するものは、僕の愛するものではない。だからこそ、彼と僕は、どちらも同時に、世界に存在することを許されている。

 そう信じることが、ちっぽけな僕に示せる、うんと背伸びした愛なのです。

 自分が持てる以上のものを、持とうとしないこと。愛せなくとも、敬意を払うことはできると知ること。

 ビニールよ、教えてくれて、ありがとう。

 今日もこれから、ミントを連れて、散歩に行きます。そろそろなくなる、ゴミ袋を買いに。それでは、また。

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