上村元のひとりごと その121:トレーニング
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
毎日書いていると、当たり前のことに、つい感謝を忘れてしまいます。
note運営事務局の寛大さには、頭が下がるばかりです。何を書いてもいい、場所代もいらない、原稿も保存されるし、著作権も保護される。素晴らしいシステムです。いつもありがとうございます。
おかげさまで、多くの方に、拙い文章を読んでいただくことができます。野球にたとえるなら、めったにヒットも出さない、フォームが美しいわけでもない、名前も覚えられないような打者に、温かく存在を許してくださるのみならず、ハートの形をした声援まで送ってくださる。恵まれているなあと、しみじみ思います。深謝申し上げます。
あぐらの膝に丸まって、てぃるてぃる喉を鳴らしている、ぬいぐるみの猫、ミントにも、ありがとう。ミントがいるおかげで、僕はもう、一人ではない。どこにいても、何をしていても、すぐそばに、いつでもミントがいる。会うことができて、本当によかった。
買い物に行った先の店員さんか、口内清掃に通う歯医者の方としか、接することのない日々です。自分とは、何者であるのか。何ができて、何ができないのか。わかっているつもりなのに、いつの間にか、ぼやけてくる。
言葉でなら、なんでもできるような気がして、つい、背伸びした文章を連ねてしまうのが、僕の悪い癖です。背伸びは、長持ちしない。すぐにぐらぐら、揺れてしまう。揺れて、焦って、言葉を増やす。ますます、ぐらぐらする。悪循環です。
打てる球だけ、打てばいい。正論ばかり守っていると、やがて、技術が下がってくる。打てたはずの球も、打てなくなる。さらに焦って、どんどん打てなくなる。こうして、ゲームそのものに、凡退していく。
書くことだけは、やめたくない。物書きは、なんでもいい、何かを書いていたいのです。どんなにくだらない文章でも、書いてさえいれば、僕は、幸せ。
でも、いくら無料とはいえ、ひと様に読んでいただくことを前提として発表している以上、何を書いてもいい、ということにはなりません。
物書きとしてのレベルによって、扱えるテーマも異なります。さまざまな方の温情により、かろうじて打席を確保できている凡庸なプレイヤーに、当代一の変化球投手が繰り出すフォークボールを、切りさばけるわけがない。
わかっていても、つい、打てるんじゃないか、と考えてしまうのが、名打者との違いで、つまり、自分をよく知らない。まだまだ、トレーニングが足りない。その一言に尽きます。
どれほど努力しても、凡人が、天才になることはできません。残酷ですが、それが、真実。凡人は、凡人のまま、自分を高めていくより他にない。
そのためには、具体的に、どうしたらいいのか。物書きにとってのトレーニングとは、何か。
書くことです。
ありがたいことに、僕には、打席が与えられている。力の限り、書く。書いて、書いて、書き続ける。正気を失う、すれすれまで。
野球選手だと、肉体という制限があるため、あまり過酷なことをすると、怪我のもとになるが、物書きは、せいぜい、腱鞘炎になるくらいで済みます。それに、物書きにとっての手は、野球選手にとっての手とは、少し違う。
書くことによって、物書きが鍛えているのは、目です。それも、視力ではなく、観察眼。
優れた打者は、飛んできたボールの縫い目が見えると言います。同じく、優れた物書きは、目の前に並んでいく言葉の縫い目が見えるのです。ここはうまくできている、そのままでいこう。ここはなんだかでこぼこしている、縫い直そう。ここは偽物の糸だ、取り替えよう、などなど。
毎日、僕は、パソコンという名のバッターボックスに立ちます。言葉の縫い目が見えるようになるまで、ひたすら、キーボードを打つ。やみくもに手を動かして、くっきりと目を見開いて。
技術的にまだ扱い切れないテーマにのみ込まれ、自分が誰であるのかを忘れそうになったら、耳を澄ませます。てぃるてぃる、ミントが鳴いている。にーのう、元気にお腹を空かせている。大丈夫。僕はいつでも、帰って来られる。
これまで、大変お世話になりました。これからも、のんきに、気ままに、続けていこうと思います。あらためまして、ミントともども、どうぞよろしくお願いいたします。それでは、また。
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