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上村元のひとりごと その51:履歴書

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 床屋のご主人の言う通り、僕は、仕事を辞めてよかったのかもしれません。

 体重は確実に十キロ落ちたし、生活リズムも規則正しくなりました。大掃除もできたし、何より、書く時間が増えた。

 以前は、取材と取材の隙間に書くしかなかったので、いきおい、すぐ手に取れる定型文を使い回しがちだった。さほど語彙が豊かでないのは変わらないにしても、今は、じっくりと、自分が言いたいことを表す言葉を選ぶことができる。ありがたいことです。

 勤め先との専属契約は、今月末で切れます。

 つまり、元の肩書きを生かした仕事に就きたいのであれば、それまでに、就職活動を終えなくてはならない。雑誌を作るためだけに設立した、半官半民の会社だったため、雑誌の廃刊とともに、会社自体もつぶれてしまった。今月いっぱいは連絡先を残しておくが、それ以降は、掛けても繫がらない状態になる。僕がそこに勤務していたことを証明するものが、何もなくなる。

 家賃も、決して滞納できません。ひとたび支払いが遅れれば、大家は不審がり、勤め先に問い合わせるでしょう。しかし、そこはもう、ない。無職とわかれば、間違いなく、追い出される。いかがわしい中年男子を受け入れてくれるのは、実家くらい。

 最悪は、両親に事情を話して、しばらくの間、かくまってもらうしかない。それでも、そんなことをしたら、僕はきっと、二度と出られなくなる。引きこもりの一人息子の、あまりにもありふれた、なれの果て。

 生きていかなくてはならない。食べていかなくてはならない。僕に残されたものは、ただ、書くことだけ。書いて、食べて、生きていく。

 その意味で、このひとりごとを、書き始めて正解でした。

 僕は、上村元。物書きです。と言っても、初対面の方には、それが嘘か本当か、わからない。自称ならば、いくらでもできる。現実のつらさから、物語を盾に、逃げ続ける人もたくさんいる。

 いつの間にか、このひとりごとが、僕の履歴書のようになっていました。

 時系列はばらばらですが、おおよそ、僕の人生に起こった大切な出来事は、全て書いてある。有料にしなかったおかげで、インターネットが使えて、日本語が読めるほとんどの人に、読んでいただくことができる。多分、神様にも。

 履歴書作成の目的は、職を得ることです。僕は、このひとりごとによって、世界に求職している。僕に、書く仕事を与えて欲しい、と。

 意図して、こうなったわけではありません。あくまでも、何もかも、後づけです。それでも、書いておいてよかった。助かりました。

 生涯、履歴書を書いて終わるわけにはいきません。文章には、それぞれ、決まったサイズがある。もちろん、このひとりごとにも。

 今月いっぱいで、筆を置こうと思います。

 言葉を迎え入れるには、書き手に、沈黙が要求されます。僕が本物の、プロの物書きになるためには、自分からは、決して語ってはいけない。書くことは、向こうから来るのです。物書きは、それを聞き、正確に書き留めるだけ。

 数えるばかりの残された枚数を、どのように埋めるか。それは、僕が決めることです。

 僕が、僕だけの責任において書く文章は、このひとりごとが、最初で、最後になる。ぼんやりと始めてしまったものなので、ぼんやりと終わってもいいけれど、それも何だか、みっともない。それでは、良い履歴書にならない。

 思い残したことはないか。やりそびれて、放置していることは。清算するなら、チャンスは、今。

 まるで、自ら命を断つ人のようですが、実際、そういうことなのです。自分のことを書く、しかも、それに結末を付ける、というのは、文章において、生まれ、死ぬことに相当する。上村元は、このひとりごとの中で、生きて、死んでいく。

 もちろん、僕は、生き続けます。生きるため、食べるために、文章を書いているのです。完結したひとりごとを携えて、厳しい物書きの世界に、言葉通り、身一つで飛び込む。そのための、生であり、死です。

 なるべくなら、ハッピーエンドでしめくくりたい。ひとりごとでも、現実世界でも。そのために、足りないものは、何か。

 特に、思いつきません。このままでいい。足りないものなんか、ない。最後の最後まで、のほほんと暮らし、書く。それが、上村元だ。

 というわけで、残りはわずかですが、ほとんどこれまで通りが続きます。終わると言っていたことを、忘れた頃に、終わります。これからも、そのように生きたいし、書きたいです。それでは、また。

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