上村元のひとりごと その417:正味
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
立派な物書きにならなければ。
強迫観念のように、ぐるぐると、そればかり考えていて。
かなり、ノイローゼ気味になってきました。
いかん。
このままでは、真正の鬱になる。
落ち着け。
そもそも、立派な物書きとは、何か。
ふっしゅーん。
ぶっしゅーん。
さっきから、耳元で、強烈な鼻息が響いています。
ミントです。
炬燵にあぐらの、僕の背中によじ登り、肩にしがみついては、しきりに、鼻息を吹きかけてくる。
どうしたの。
肩越しに、ちらっ。
振り向くと、途端に、しゃっ。
素早く引っ込んで、今度は、反対の肩にしがみつき、また、鼻息。
ずっしゅーん。
ぐっしゅーん。
…鼻詰まりかな?
心配になって、ちらっ。
振り向くと、やっぱり、しゃっ。
エンドレス・引っ込み&鼻息。
ため息をついて、向き直り、自家発電の扇風機を耳に、MacBookの白い画面を見つめます。
お金を稼ぎたい。
というのは、実は、あまりなくて、ミントと、カイと、暮らしていければ、それでいいと、心の底から、思っている。
というか、本当にお金が欲しいなら、物を書くより、売った方がいい。
そうではない。
書きたい。
どうして?
何を、目指しているの?
ノーベル文学賞?
…名誉も、あんまりいらない。
けなされたくはないが、むやみに褒められたくもない。
じゃあ、何か、というと。
読者の反応。
これが、一番近くて、紛らわしい。
とても、似ているのです。
僕を含む、あらゆる物書きが、切実に求めるものと。
反応。
コレスポンダンス。
ボードレールの傑作、「万物照応」が、ずばり、指し示すもの。
世界と、自分が、一致したかのような感覚。
お笑いで言うところの、ウケた、です。
あれは、一度経験すると、やみつきになる。
とにかく、反応が欲しいのです。
野次でも、罵倒でも、なんでもいい。
繫がっている。
通じている。
その手応えを求めて、日々、物書きは、書き続ける。
…この頃、それが、ないんだよな。
ぼっしゅーん。
どっしゅーん。
…大丈夫?
ちらっ。
しゃっ。
…大丈夫みたい。
ミントも、きっと、見て欲しいだけなのです。
かまってくれ、の、もう少し、弱いバージョン。
手は出されたくないが、無視されたくはない。
自分は、ここにいる。
忘れないで。
ごっしゅーん。
げっしゅーん。
…忘れないよ。
忘れるわけ、ないじゃない。
ちらっ。
しゃっ。
もちろん、世界は、人間より大きいので、僕が首をねじるようには、簡単に、振り向くことはできない。
仮に、振り向いてくれたとしても、あまりにも大きすぎて、こちらが、気づかない。
気づかないだけ、なのかな。
ちゃんと、反応してくれてるかな。
心配。
いじいじ。
となって、書くものが、縮み始めると、それだけ、反応も薄くなって、ますます、いじいじ。
もっと、どかんと、花火を打ち上げるように、ド派手な表現をやらかせると、いいんだけど。
それができれば、いじけたりはしません。
だからと言って、いつまでも、すみっこで、床にのの字を描いていても、らちが明かない。
勝負に、出なくては。
世界に、打って出る。
どうやって?
正味です。
ジャストサイズを、さらけ出す。
これは、結構、きつい。
最終手段と、言っていいかもしれない。
普段、身の丈というのは、幅がある。
大風呂敷を広げてみたり、反対に、過小評価してみたり。
いずれも、正確な価ではない。
だいたい、170センチかな、で収めていたものを、168.7センチ、くらいの精度でいかないと。
切り詰める、というのとも、また違う。
とことん、ぴったりであること。
これに尽きる。
もはや、伸びしろはない。
さりとて、縮むこともできない。
ぎりぎりの、発狂寸前のところを狙って、書く。
内容の話では、もちろん、ありません。
スキャンダルほど、耳目を集めるものはないが、そうではなくて。
調整です。
フォームの修正。
最も、反応が起きやすくなる形に、文章を、整えていく。
…これ、やるの?
厳しいな。
というのも、どうしても、文章を書き慣れた者ほど、無意識に、折りじわのようなものがついてくる。
きれいに取るためには、洗剤をつけて、水洗いして、日干しして、アイロンを当てる作業が必要になるが。
これがまた、自分を丸洗いするのは、とても難しいんだな。
でも、やるしかない。
とりあえず、二軍落ちして、コーチにつこう。
仕切り直しだ。
どれほど時間と手間がかかろうと、耐えてみせる。
ぎっしゅーん。
ざっしゅーん。
…ねえ、その音、どこから出してるの?
ちらっ。
しゃっ。
戦いは、始まったばかりです。それでは、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?