上村元のひとりごと その386:腑
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
執念だけで、書き続けることはできません。
身体が、嫌がるからです。
嫌がる、と言っても、あくまでも、例えであって。
身体は、物体です。
命が絶えて、初めてわかる、むごい真実。
身体そのものが、書くのが嫌だ、などと思うわけではない。
物理法則を無視した強固な意志は、物体を傷つける。
その過程で生じる破損と、痛みを指して、身体が嫌がる、と言うのです。
書くんだ。
何がなんでも。
たとえ、この身が滅びようとも。
思い詰め、四六時中、ろくに休憩も取らないで、パソコンの画面にかじりついていたら。
間違いなく、倒れます。
ひどい時には、重病も。
ご本人が、天才で、そのようにして書かれた文章が、値千金、いかなる鈍感といえども、感動せざるを得ないくらいの、素晴らしい作品ばかりなら、まだ、救いもあろうけど。
たいてい、そうはいかないところが、悲しい。
身体を無視した頑張りと言うのは、多くの場合、見たくない現実からの逃避。
否定の上に成り立つ表現というのは、とにかく、美しくない。
美しくないもので、人を惹きつけたところで、長保ちはしない。
よって、いずれにせよ、安定して書き続けることは、難しい。
じゅなーむ。
にゅーごろろ。
ぬふぬふー。
よしよし。
普通、猫というものは、自分で、後脚を上げて、かゆいところを、器用に搔くはずなのに。
我が愛猫は、一切、それをしない。
ちょっとでも、かゆくなると、僕の足元に寄ってきて、むやーも。
なんとかして。
王様のごとく、お命じになる。
かしこまりました。
僭越ながら、しもべが、お搔き申し上げましょう。
ぽさぽさの、青緑色の毛皮を抱き取って、膝にお乗せし、ポリエステル100%、人造なのに、抜け替わる、不思議な毛並みのマッサージ。
甘やかしてない?
まことにもって、その通り。
弁明の、しようもない。
それでも、苦しい言い訳をさせていただくならば。
身体と、意志との、落とし所が、ここなのです。
わかりやすく言えば、腑に落ちる、ということ。
ミントにとって、僕に、かゆみの除去を命じることは、甘えではない。
ミントの身体と意志が、合致して、そうなった。
腑に落ちた。
そうか。
かゆい時は、この人間の、指とやらを使うといいんだな。
にふにふ。
ぐぶぶぶ。
すふーん。
きもちーい。
愉快このうえない表情で、くにくにと、のたれ、もぞつく愛猫に、可愛いな。
でれでれと、眉を垂らしながら、せっせと搔いて差し上げます。
執筆において、僕も、ある程度、腑に落ちてはいる。
こうして、毎日、ひとりごとを書くことができるくらいには。
ただ、まだ、ミントほどではない。
落ち方が、甘い。
時に、意志が暴走し、時に、身体が惰性化し。
言いたいことを、ぶちまけるか、ひたすら、文字数を埋めることにいそしむか、どちらかに、寄りがちになる。
そもそも、意志と身体を分けて考えている時点で、完全に、腑に落ち切ってはいない。
腑って、何?
どこにあるの?
内臓のこと?
それとも、脳みそ?
…具体的な、物ではない気がする。
そこまで、身体に、意志を乗せてはいけない。
身体に気を遣ったメニューが、たいてい、あまり美味しくないのは、物理法則を軽んじた方法で、調理されているから。
こうすれば、こうなる、ではなく、これだけやったんだから、きっとこうなるに違いない。
人呼んで、思い込み。
思い込みで、極められるほど、どの道も、楽ではない。
真の意味で、物書きとして、腑に落ちるためには。
とにかく書け、ではない。
スパルタは、アテネの敵。
知恵の敵。
考えを極めろ、でもない。
魂だけが、人間じゃない。
書きながら、考える。
書くことによって、考える。
どちらかというと、考えながら書く、よりは、こちらの方が、いいあんばい。
比率としては、身体が、やや多め。
わずかに、意志が譲った方が、重みが出る。
地球の上、重力の中で、書いているんだと、実感できる。
物でもない、気持ちでもない、そんな言葉を、文章に。
きゅーふふ。
ぐひひひ。
むわーしゃ。
…。
とてっ。
とてとてとてとて。ちりんちりん。
唐突に、終わりは訪れます。
あんなにも、にこにこと、この膝で、丸くなっていらっしゃったのに。
かゆみが治まれば、はい、さよなら。
使い捨てカイロよりも、あっさりと、見捨てられ、取り残され。
なわばりの見回りにお出かけの、大きなおしりを、涙目で見送ります。
いつでも、腑に落ちていたいけれど、そうすると、愛猫のご命令に、従えなくなる。
ますます、見捨てられる。
それを思うと、今の、この、中途半端な物書きぶりで、僕には、ちょうどいいのかもしれません。それでは、また。
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