見出し画像

上村元のひとりごと その18:女神

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 公の場で、性的な事柄に関する意見を述べるのは、かなり、勇気が要ります。

 人間には、様々な好みがあり、とてもここには書ききれない。ある人にとっての最愛の人が、ある人にとっての最恐の敵かもしれない。何かを好きだ、と宣言することは、とりわけ、性の領域においては、誰かの恨みを買うこととイコールだったりする。

 自分のなかの怯えに蓋をして、あえて、俺はパワフルな奴だ、と誇示するために、下品な話題を提供する人たちを、たくさん見てきました。

 差別にならないといいな、と思いますが、そういう方たちは、えてして、男が多かった。女の人の場合は、申し訳ありませんが、よくわかりません。そもそも、下ネタを進んで口にする女の人に、あまり会ったことがない。

 というか、女の人自体に、ほとんど接したことがない。母とは、クールな関係だし、姉妹もないし、祖母たちは、生まれる前に亡くなっている。両親とも一人っ子で、いとこもできない。男友達もいないのに、どうして、女の子とまともに遊べるでしょう。

 書いていて、何だか悲しくなってきました。やっぱり、この話題はよそうかな、とためらいつつ、それでも、少しだけ、誰のご迷惑にもならないよう、最大限の注意を払って続けます。

 そんなわけで、現実の女の人にはとんと疎い僕ですが、高校生の時、電車通学の途中、人生初にして、それきりの、強烈な妄執に取り憑かれたことがあります。

 大学生だったでしょうか、それとも、服装が自由になるお勤めの方だったでしょうか。とにかく、僕よりは年上で、でも、とても若かった。白いTシャツに、ジーンズを履いて、普段はコンバース、暑くなると、サンダル。

 まっすぐな茶色い髪を、眉の上、耳の下で切り揃えて、色白の首筋がいつでも涼やかだった。まつげを伏せ、両手を膝に重ねて、うとうとしている背筋は常に乱れず、かと言って、力んでもおらず、ごく自然だった。

 鞄は、よく覚えていませんが、薄く、軽そうだった。雨の日は、透明なビニール傘を、細い指でそっと握って、電車から降りて行く。

 よっぽど、後をつけようかと思った。学校なんかどうでもいい、今すぐ、あの人と、話がしたい。声を聞きたい、名前が知りたい。僕の名前も、呼んで欲しい。

 見かけるたびに、気が狂いそうになって、混んだ車内をじりじりと移動して、なるべく近くに、でも、ばれるといけないので、距離を取って、立ち、じっと、じっと見つめていた。

 彼女は、僕の女神だった。実際、心の中では、そう呼んでいました。途方もなく清らかで、それなのに、ものすごく淫らだった。

 もし、奇跡が起こり、あの時、彼女と知り合うことができていたなら、僕はきっと、彼女をめちゃくちゃにしてしまったに違いない。そうならなくて、本当に、良かった。

 とは言え、お恥ずかしいことですが、妄想というものは、妄想している本人の意志とは無関係に、とんでもない方向へ暴れ出す。

 現実には、僕はただ、ぼうっと口を開けて、見惚れているだけでしたが、空想の世界で、僕が彼女に何をしたか。言葉にしてしまったら、速やかに、手錠が待っています。もしかしたら、電気椅子も。

 この妄想を、文学作品に、と考えてはいけないと知っていた。それだけが、現在の僕が、当時の僕を褒めてやりたいところです。作家たちは、単に妄想を書き連ねているのではない。妄想する、という行為ごと、創作しているのです。

 いつの間にか、彼女は乗車時刻を変え、僕も受験で忙しくなり、地獄の拷問にも終わりが訪れました。中年になった今、あれほどの獣欲が生身を灼くことは、おそらく、もうないでしょう。

 でも、何かがまだ、疼くのです。

 それは、よく言われるように、男として、生涯現役でいたいという、若さに対する執着ではない。いや、それもあるのかもしれないが、それだけではない。

 お前はまだ、償い尽くしていない。そんな声が、胸を突き、多分、そちらが正しい。

 あの時、見ず知らずの女の人を、妄想のなかでとは言え、辱めてしまったその罪を、忘れてはいけない。告発する者のない犯罪に、どのように対処するのか、一生かけて、考え抜くのだ。

 とりあえず、女の人と交際しない、というありきたりの手段で、僕は、かつての非を悔い続けています。皆さんも、どうか、過剰な妄想にはお気をつけください。それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?