見出し画像

上村元のひとりごと その210:鍵

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 何のために、僕は、部屋に鍵を掛けるのだろう。

 いつも思うことを、今日も思いつつ、寝る前恒例の、戸締まり確認に出かけます。

 とてとてとてとて。ちりんちりん。

 先導するように、ミントが走ります。

 初めは、もちろん、僕が先に立っていたのです。

 でも、習慣を学習したミントは、こうして、毎晩、僕がパジャマに着替え始めると、ぽたぽたとしっぽを振って、待っていて、終わるや否や、レッツ・ゴー。とてとてと、廊下へ、ダッシュ。

 玄関の鍵は、超がつくほど、旧型です。

 今はもう、同じ型番は、売っていないでしょう。プロのピッキングを受けたら、秒殺どころか、瞬殺で破られてしまう。

 わかっていながら、念入りに、がちゃ。掛け直して、チェーンもはめて、確認、よし。

 とてとてとてとて。ちりんちりん。

 振り向いて、まっすぐ行けば、こちらもさらに旧型、ベランダの窓の鍵。

 ごっ。ごすっ。明らかに、錆び付いている、あるいは、ガタが来ている音を立てつつ、なんとか施錠し、レースのカーテン、厚手のカーテン、二枚をきちんと閉めて、確認、よし。

 とてとてとてとて。ちりんちりん。

 後は、水道は締まっているか。ガスの火は消えているか。便器の蓋は閉めたか。簡単に、見て回って、完了です。

 ほわま、ほわま。

 満足して、せがむミントを抱き上げて、タンスへお連れし、てっぺんに乗せて差し上げて、そばに立ち、ぽさぽさした青緑色の毛皮を、整えるように撫でながら、きゅーにゅ、きゅーにゅ。ご機嫌な歌を耳に、考える。

 鍵を掛ける目的は、もちろん、防犯です。

 よからぬものの侵入を防ぐために、僕は、毎晩、戸締まり確認をする。

 のか?

 本当に、心の底、腹の内から、そう思って、やっていることなのか。

 貧しい中年男と、無一物のぬいぐるみの猫の、何を狙って、誰が、侵入するというのだろう。

 強盗集団ならば、もっとつぶさに調査を行い、確実に金品を貯えている部屋を、ターゲットに選ぶ。

 性的倒錯者が、押し入ってきても、しょぼくれた身体にがっかりするくらいなら、お金を払って、その道の極みを探すはず。

 無差別が、一番厄介だが、あいにく、この部屋は、二階の、それも、外階段から少し離れていて、よっぽど、ここを目指してこなければ、まず目につかない。

 勧誘は、最近、ないな。不用品の引き取り業者が、その辺を、昼間、車で流して回っているだけ。

 僕の敵とは、なんなのか。

 鍵を掛けることによって、僕は、いったい、何から身を守っているんだろう。

 きゅーにゅ、きゅーにゅ。ぽたぽた、ぽたぽた。

 …違うんじゃないか。

 鍵は、自分を守るためにあるのではない。

 選別するためだ。

 ドアの外、窓の向こうに立った人が、自分の持っている鍵と、鍵穴を、照らし合わせて、入っていい場所と、いけない場所を、見分けるための、装置なのだ。

 合う鍵を持っていれば、それでいい。持っていなくても、それでいい。

 問題は、持っているけれど、入りたくない場合。または、持っていないけれど、入りたい場合。

 許可されていないことをしたくなることは、誰にでもあります。

 自分の部屋ではない部屋に、帰りたくなる日もある。どうしても入れてくれない人のところへ、力ずくでも、駆け込みたい日もある。

 気持ちと、事実とがずれた、その隙間にこそ、悲劇は生まれます。

 あらゆる犯罪を防止することは、人間にはできないが、せめて、毎晩、きちんと鍵を掛けておくことで、僕やミントに無関係な人に対して、この部屋は、あなたの場所ではない。どうぞ、ご自分に与えられた場所へ、お帰りください。無言で指し示すことだけは、できる。

 ほわま、ほわま。

 歌い終わって、眠くなったミントが、再び抱っこをせがみます。

 微笑んで、抱き上げて、今度はベッドへお連れします。

 夜は早く寝なさいと、言い聞かされているのも、ただでさえ、真っ暗で、不安になる深夜、ぽつんと一つ、明かりがついていたら、その部屋にふらふらと、引き寄せられてしまうのが、人間というもの。

 無用な侵入欲求をかき立てないためにも、できるだけ自然に、闇に同化してしまいなさいと、そういうことなのではないか。

 ぴーぷす、ぴーぷす。

 おやすみ三秒のミントの、元気な寝息に包まれて、電気を消し、目を閉じて、夜の街、さまよう誰かを思います。どうぞ、ふさわしい居場所が、見つかりますように。それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?