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上村元のひとりごと その209:サマーレイン・ダイバー

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 冬に思い描く夏ほど、甘美なものはありません。

 とりわけ、梅雨の終わり、七月の半ば頃。

 重苦しく、うっとうしい長雨から解放されて、傘を放り、長靴を脱いで、いざ、サンダル。

 Tシャツの袖さえ、わずらわしくて、思いっきり、ランニングシャツに、短パンで、駆け出したい。

 熱々のアスファルトを蹴って、全力で、向かう先はもちろん、海。

 さんざん走り回って、笑い合って、大きくなって。

 さすがに、ランニングに短パン、とは、もういかないけれど、素敵な恋人がいれば、ベッドの上、それに近い服装になれる。

 子供みたいに、あなたの中に潜りたい。

 どうせ夏は続かないけれど、思い出は、一生。

 踊りましょう。昨日の雨は、今日の波。

 そんなことを考えて、もぞもぞし、目を開けると、すぐ前に、どってーん。ぬっふーん。

 青緑色の、ぬいぐるみの猫が、炬燵の上、ノートパソコンに転がって、ゆだった毛皮を冷ましています。

 しっぽのすぐ脇には、ココアの入った、マグカップ。

 あぐらの膝と、両手は、炬燵の中。

 自分の他に、人間はいなくて、なんとなく、どこもかしこも、ぐちゃっとした、侘しいワンルーム。

 うーん。

 うめきながら、上半身を折り曲げ、しっぽとカップをよけながら、慎重に、天板に額を当てます。

 イメージと現実の、凍りつくような落差が、たまらないのです。

 我ながら、おかしいんじゃないかと思いますが、昔から、そうでした。

 笑えてくるのです。腹筋が、痙攣するくらいに、楽しくて。

 ただ、僕のイメージ能力は、それほど豊かではなく、せいぜい、ステレオタイプをなぞるのが、関の山。

 この、冬に思い描く夏。あるいは、素敵な恋人に出会うことを、性懲りもなく夢見続ける、冴えない独身男。にふさわしい、芸術作品はないものか。週刊誌のグラビアでは、あまりにも、むなしすぎるから。

 求めよ、さらば、与えられん。

 んっふーん。しどけなくだらつく、可愛い猫のおかげで、僕はようやく、理想の音楽にめぐり合いました。

 「サマーレイン・ダイバー」です。

 急いで申し上げますが、この曲を書いた人は、僕と違って、ものすごいイケメンです。恋人? 何人目の、誰のことかな。くらいのことは、おっしゃってもおかしくはない。よく存じませんが。

 ただ、きっとこれは、冬に作られたものに違いない。

 もうすぐ年の瀬、恐ろしく冷え込む雨の午後、炬燵にココアで、ご機嫌な猫を眺めながら、ぼんやり聴くのに、これ以上、ふさわしいBGMは他にない。

 一芸に秀でるには、それなりの訓練が必要です。

 まして、真の天才から、詐欺まがいの一発屋までが、ひしめきあい、しのぎを削る、芸能業界で、生計を立て、ヒットを生み出し、なおかつ、長期にわたって、新作を発表し続ける技術を得るには、夏に、恋人といちゃつく時間を、ほとんどゼロ近く、あきらめることが要求される。

 アーティストに、夏はないのです。

 潜るべきは、ただ、己の内なる深海。

 酸素ボンベも効かない。シュノーケルも無力。フィンなんて、邪魔なだけ。

 素潜りで、とにかく、底へ、底へ。

 見て、聞いて、帰って来い。作品を創れ。たとえ、耳を傾けるのが、ぬいぐるみの猫と、もっさい中年男だったとしても。

 むしゃん。ごそごそ。

 すっかり冷えたミントが、おもむろに、立ち上がり、とてっ。天板から飛び降りて、布団の裾を、頭でめくり、炬燵の中へ消えていきます。ウィンター・コタツ・ダイバーです。

 まだ笑いの残る口に、カップを運び、無事、はたき落とされずに済んだ、ぬるいココアをすすります。

 芸術家本人と、できあがる作品の間には、実は、あまり関係はありません。

 どんなに素行が悪かろうとも、珠玉のラインナップを取り揃える人もいる。これはもう、どうにも埋めがたい、永遠のギャップです。

 振り幅の大きさ、イコール、才能の大きさ、になりがちだが、それでも、そこをメインにしてはいけない。

 受け手に届けられるのは、ただ、姿勢だけ。

 真摯に、創作に向き合ったかどうか。己の深海で見聞きしたことを、ささいな利害のために、ねじ曲げなかったか。

 嘘をつかず、まっすぐに表現していれば、発されたものは、いつかきっと、求める人のところに、ちょうどいいタイミングで届きます。

 それを信じて、物書きの端くれたる僕も、いつ何時でも、言葉の背筋を伸ばしていたいです。それでは、また。

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