上村元のひとりごと その520:おわりに
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
King Gnuの「壇上」の、不吉なところは、井口さんがいないことです。
しっとりと波打つメロディーも、渋すぎる常田さんの歌声も、素晴らしければ素晴らしいほど、際立つのは、井口さんの不在。
永遠に会えなくなってしまったメンバーに捧げる、バンド仲間からの哀悼歌のようだと、聴くたびに思っていました。
縁起でもないことですが、しかし、やはり、King Gnuにとって、とりわけ、常田さんにとって、いつか必ず、考えなくてはならないことだったのでしょう。
あまりにも、井口さんが、天才だから。
そう、実は、少なくとも、初期のKing Gnuの魅力のほぼ全ては、井口さんの美声が担っていた。
少なくとも、常田さんには、そう思えた。
あんまりにも、あてにしすぎてやしないかと。
恐ろしいくらい、どんな曲でも歌いこなすものだから、つい、自分の作曲能力を過信してしまいそうになる。
俺の作る歌、全部、最高、みたいな。
でも、そうじゃない。
井口さんが歌ってくれなかったら、何一つ、輝くものはない。
そうだろう?
そうなのか?
本当に?
真剣に考えた結果が、「壇上」であり、millennium paradeであり、「FAMILIA」を経て、「三文小説」に行き着くのです。
ぶふーん。
とてっ。
とてとてとてとて。ちりんちりん。
音楽鑑賞を堪能して、MacBookを離れ、なわばりの見回りに出かけた愛猫、ミントが残したヘッドホンを拾って、頭に装着します。
「壇上」をクリックして、弔いの調べに耳を傾けながら、いや。
本当に終わりにするつもりだったら、この歌詞にはならない。
終わりにしたい時、人は、終わりにしようとは言わない。
始めよう、と言うものだ。
ぐちゃぐちゃになった現実から、目を逸らし、蓋をして、新しく、きれいな未来を、始めたがるものだ。
このままで、いくぜ。
誰一人、死なせない。
失ってなるものか。
若き日の、はかない才能などとやらに、大事な仲間を、なけなしの自分の力を、押し潰されて終わりにするくらいなら。
今ここに、汚れた部屋に、一人、うずくまったまま、死ぬまで変わらず、固定されてやろうじゃないか。
他の誰にも、なりはしない。
自分を愛せないまま、相も変わらず、自分であり抜いてみせるのだ。
最後になりましたが、これまで読んで下さった方、フォローして下さった方、スキを送って下さった方、皆様に、心より、感謝申し上げます。
なめらかに、時は連続し、ひとりごとは、千文小説へ移ります。
よろしかったら、今後とも、お付き合いのほど、お願い申し上げます。それでは、また。
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