上村元のひとりごと その173:ひなたぼっこ
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
アナログでいこう。
そんな言葉が、ふわりと浮かんで、見上げた天井には、午後の光。窓の外には、秋の空。
太陽の高度が下がって、南向きのベランダに、昼ご飯の後、さんさんと陽差しが入るようになりました。
思い切り床に寝転がり、自らもふもふクリーナーと化して、拭き掃除をしてくれているミントの、ぽさぽさした毛皮を撫でながら、そばに座って、ただただ日に当たっているのは、とても幸せです。
一生、このまま、何もしないでいられたらな。
ぼんやりと、ぬくもっているうちに、ここ数日、いや、一週間近く、悩んでいた問題に、ふと、答えのようなものが出てきたのです。
失職したことを引きずって、何もかも、生活を変えなければ、と思い詰めるうちに、アップデート、という概念に、安易に飛びついてしまったのが、そもそもの間違いでした。
しがない物書きである僕が、果たして、アップデートについて、何を知っているというのだろう。
説明しろ、と言われても、できない。何を意味する言葉なのか、よくわからずに使って、あたかも、機械に精通した人間みたいに振る舞うことで、自分の無知を覆い隠していた。
向いていないことは、するもんじゃない。
この数ヶ月、いろいろな局面で、いやというほど叩き込まれたはずなのに、また性懲りもなく、やっている。どうしようもない。
でも、まあ、わかってよかった。デジタルコンテンツ方面には、行かない方がいいということが、これで、身にしみた。
それと、ついでに、スポットライト方面にも。
僕には、ぬいぐるみの猫を撫でながら、お日様の光を浴びているのが、向いている。実に小さくて、恥ずかしいけれど、とにかく、そう。
まぶしくて、美しい、人工の脚光に、憧れたってしょうがない。ないものねだりは、悲しい暇つぶし。もう、結構。
みににに。てぃるるる。ぬふーん。
ご機嫌で、喉を鳴らし、あられもなく、仰向けに、べったりと四肢を放り出すミントに、微笑んで、涙をぬぐい、光を背にして、本棚を見つめます。
紙の本、CD、DVD。僕の大事な、メディアたち。
お金は乏しくても、買える範囲で、こつこつと、増やしていこう。
電子書籍を読んだり、ストリーミングを利用したり、Blu-rayを導入したりすることだけが、アップデートではないはず。
かといって、レコードを蒐集したり、古本屋をめぐったりする趣味も、僕にはない。あくまでも、何もかも、一般人レベル。悔しいけれど、おそらく、ずっとこのまま。
与えられた容量のなかで、できることを、探すのだ。
んふーん。めやーん。ほわおわ。
しかも、もう、一人ではない。
ピンク色の口内を、大胆に見せて、あくびをし、あぐらの膝に、のっちりとほっぺたを寄せてくるミントを、置き去りにして、自分だけ、楽しむというわけにはいかなくなった。
紙の本は、ミントが嫌がるので、最小限、本当に読みたいものだけに絞ろう。
CD、DVDは、ミントも僕も、一緒に楽しめるような再生機器を使って、観て、聴いて、力が湧いてくる音楽や、映像を選び抜こう。
疫病の流行に端を発した、この引きこもり暮らしは、一見、気ままなようで、その実、かなり厳密に、欲望を見極めることが要求されているようです。
自分は、何がしたいのか。何が好きで、何が苦手なのか。そんなことは、会社員時代には、突き詰めなくても済むものだった。なんとなく、表向きの整合性が取れていれば、それでよかった。
身近に他人がいない以上、自分自身を、他人のように見る必要がある。
そうでないと、世界はただ、うすぼんやりした、もやの中。こんなふうに、くっきりと、寂しい、秋の落日を感じられない。
ほわま、ほわま。にーのう。
抱っこをせがみ、するめをねだるミントに、ため息をついて、炬燵へ抱えて連れて行き、にちにちにちにち。にちにちにちにち。いつものおやつをかじらせます。
ひなたぼっこは、終わりです。
いつまでも、哀愁にひたってはいられません。ぬくもりを得るのは、なんのため? 書くためです。
伊勢さんから、新しい写真が届いています。背中がまだ、温かいうちに、短文を仕上げてしまいましょう。
仕事をして、お金を頂き、自分とミントに、食べさせる。空いた時間で、本を読み、音楽を聴いて、仕事をするためのエネルギーを沸かす。そんな基本の繰り返しこそ、何より大切なのです。それでは、また。
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