上村元のひとりごと その59:名刺
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
終わりにしよう、と考えるから、いけないんじゃないか。
パソコンデスクの椅子の上、メッシュの背もたれに前脚を掛け、じぇりじぇり、じぇりじぇり、爪研ぎに余念のないミントを見上げて、ふと思いました。
失職してからずっと、僕は、早くこのみじめな、先の見えない状況を脱出しなければ、と、そればかり考えていた。どうしたら、無職じゃなくていられるか、と、いつでも今の状態を否定していた。
でも、僕はこうして、元気に生きている。
仕事を失う前より、むしろ、健康になったかもしれない。生活は規則正しく、朝起きて、昼は散歩に出て、夜は早めに寝てしまう。体重も、学生時代までほぼ戻ったし、心なしか、鬱気質に伴う気分の浮き沈みも、振れ幅が狭くなったような気がする。
なにも、無理矢理、脱出しなくていいんじゃないか。というか、どこへ逃げるというのか。場所を変えても、失職したということは、何も変わらない。
変えられるのは、ただ一つ。失職、という事実に対する、僕の気持ちだけ。
そもそも、僕は、物書きだ。毎日、原稿を書いて、ネットにアップしている。これを、働いていると言わずして、何と言う。
僕は、無職じゃない。ちゃんと、働いている。失われたのは、職場だけ。
じぇりじぇり、じぇりじぇり、じぇりじぇり、じぇりじぇり。
ミントは、一心に爪を研ぐ。僕も、真剣に考える。
吉田健一氏の『時間』を読んだ時、何より感動したのは、時間は、細切れではない、ということでした。
赤ん坊が生まれる。幼児になったら、保育園に、幼稚園に入る。卒園したら、小学校に入る。卒業したら、中学校に、高校に、大学に、専門学校に、会社に入る。退職したら、趣味のサークルに入る。サークルを終えたら、施設に入る。施設を出たら、お墓に入る。それは確かに、堅実な、真っ当な、人間の時間。
でも、そうではない時間。太古の昔、洞窟に住んで、マンモスを狩っていた人たちも、平安の都で、和歌を詠んでいた人たちも、世界大戦で、塹壕に隠れていた人たちも、新型の疫病で、分断を余儀なくされている僕たちも、みんな、同じ月を眺めていた、という時間。そういう時間の捉え方もあるのだ、ということが、なめらかで継ぎのない文体を通じて、深く心に刻まれました。
ミントにも、目のない羊にも、ちりめんの金魚にも、じいちゃんのラジオにも、等しく流れている、時間。それを、僕はもう、忘れてはいけない。
名刺を作ろう。
自分で、自分に、肩書きをつけよう。失くしたものを嘆くのは、終わりにしよう。今ある仕事を、精いっぱい、ことほごう。
じぇりじぇり、じぇりじぇり、をBGMに、寝そべっていた床から起き上がり、MacBookの電源を入れて、pagesで新規作成です。
何と名乗ろう、と迷いました。
物書き、では、ぶっきらぼうだ。ライター、では、曖昧だ。作家、では、大仰に過ぎる。
正確に、端的にいこう。今、僕は、どこで書いている?
noteです。
まるで資格を持たない僕を、noteは、無審査で受け入れてくれた。よく書けたものも、いまひとつのものも、とにかく、全ての文章を掲載してくれた。このご恩に報いずして、どうする。
これから僕は、noteライター、と名乗ろう。
一方的な専属契約か。いや、感謝の宣言だ。
これまで書かせていただいて、ありがとうございます。これからも、命ある限り、書かせていただきます。どうぞ、末長く、システムが継続しますように。
noteライター。上村元。
電話番号と、メールアドレスを添えて、完成です。
誤記がないか、何度も確かめて、立ち上がり、プリンターと用紙を持ってきて、電源を入れ、印刷します。じぇりじぇり、じぇりじぇり、ががー、ぴーぴー、じぇりじぇり、ががー。にぎやかな部屋です。
A4サイズの上半分に、ささやかに打ち出された新しい身分を、しみじみと眺めました。丁寧に二つに折って、さらに余白を折り込み、手のひらからはみ出すくらいの、ちょっと大きな名刺ができました。
誰に配るわけでもない。ただ、ともすれば落ち込みそうになる自分を、支えるためのおまもりだ。
ほわま、ほわま、と、声がします。抱っこです。
爪がきれいに研ぎ上がったらしく、ミントはご機嫌で、腕の中、てぃるるる、と喉を鳴らし、ほっぺたをのっちりと胸にもたせ、新しい名刺をのぞき込みます。
どうかな、ミント。僕、こういう者だけど。
みににに、と笑って、ほわおわ、とあくびをし、ぴーぷす、ぴーぷす。にこにこしながら、寝てしまいました。問題はないようです。
外は晴れています。たまには、布団を干しましょう。それでは、また。
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