上村元のひとりごと その486:急がば
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
どうして、うまくいかない時の方が、いい文章が書けるんだろう。
幸せで仕方ない時に、幸せで仕方ありません、とそのまま書いても、いまひとつ、人の心を打たない。
もちろん、死にたくなるくらい落ち込んでいます、と書いても、遠巻きにされるだけなので、どうせなら、幸せです、と言いたいのだけれど。
駄目なんだな。
まだ、落ち込んでいる方が、文章としては、ましなのだ。
物書きは、幸せになっちゃいけないのか。
因果な商売だこと。
ふんやーお。
ふてくされて、ベッドの上、頭からかぶった毛布の向こう、愛猫ミントが、自分も入れろ、とわめきます。
すみませんでした。
慌てて端をめくって、中へご案内し、むふーん。
よろしい。
満足の鼻息をもらす、ぽさぽさの、青緑色の毛皮を撫でて差し上げながら、さて。
今、僕は、幸せか?
真剣に自問したところ、答えは。
大変、幸せです。
…なんだ。
物書きだって、幸せになれるじゃないか。
良かった。
ほっとして、少し、毛布から顔を出します。
じゃあ、どうして、つらい時の方が、優れた文章が生まれやすいんだ?
というのは、つらい時、人は必死で、小さな幸せを探すから。
闇夜の蛍が、真昼の街灯より、ありがたいに決まっているのと、同じこと。
対比によってこそ、幸せは輝くのです。
それでは、つらいことは全て、幸せの引き立て役なのか?
華々しく成功して、インタビューに答え、実はあの時、本当にきつくてね、と笑い飛ばすためだけに、苦しみはあるのか?
結果が出せなかったら、意味がない。
初めから、苦しむ必要もない。
そもそも、書かなければいいのでは。
そうだね。
やめよう、物書き。
ふー、せいせいした。
これで、お気楽のほほんライフを、エンジョイできるぞ。
むんがー。
とはならないのが、物書きの、真に因果なところ。
寝返りを打った拍子に、愛猫の、大事なしっぽを、背中に敷いてしまい。
ぶんむくれの大きなおしりに、平謝りに謝りつつ、己の業の深さに、ため息をつきます。
知りたいのです。
あらゆる危険を冒しても、真実を。
これだ、と、全てのピースが合致する瞬間が、確かにあって、その時のためにこそ、書き続けていると言って、過言ではない。
失敗することの方が、多いくらいだけれど、何のその。
これだ、の至福にはかないません。
そう、手っ取り早く、幸せになりたいわけではない。
考えて、考えて、考え抜いた果てに、ぽんと、ご褒美のように、答えが示される。
それまでの苦しみが嘘のように、すいすいと、時が経ち始める。
できるだけ、回り道をするといい。
一見、何の関係もない、むしろ、正反対とも思える道を、こつこつと、文句を言わず、手間暇をかけて辿っていくのが、実は、労力的には、最短コース。
目先の労を厭い、既成概念や常套句でごまかして、売れてしまったりすると、取り戻すまでに、冗談ではなく、一生かかる。
急がば回れ、です。
むんふー。
なかなか直らない、愛猫のご機嫌も、するめ一枚で一発だと、知ってはいる。
でも、むくれるたびにおやつを与えていたら、ただでさえ、太りやすいミントは、たちまち、どてっ腹。
長生きは、とうてい、望めなくなる。
地道に、あやして、なだめます。
長い目で見れば、遠回りの方が、ミントにも、僕にも、幸せなのです。それでは、また。
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