見出し画像

上村元のひとりごと その234:振り向く

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 時折、背中が、とても痛くなります。

 座業がメインの物書きであることに加えて、やや腎臓が弱いので、腰は、いつも、なんとなく痛いのですが、それとは、明らかに、別。

 左の首筋から、心臓の裏側にかけて、腫れたように、びしっと痛む。

 初めは、心筋梗塞か何かだと思って、肝を冷やして検索したのですが、どうやら、そうではないらしい。

 鏡を見ても、顔色は、正常だし、息切れとか、胸苦しさとかもない。

 身体の問題ではないようです。

 それでも、痛いものは、痛いので、いたわってやらなくては。

 今日も、朝起きた時から、ひどく痛んで、どうしようもないので、とりあえず、執筆業務を早めに切り上げ、昼ご飯の買い出しに出かけるまでの間、ベッドに横になることにしました。

 背中が痛いと、仰向けに寝るのは、無理です。

 横を向いて、背中をむき出しにするように、倒れます。

 んふーん。

 すかさず、空いた背中に、ミントが、べったん。乗っかって、てぃるるる。気持ちよさそうに、喉を鳴らします。

 心当たりは、あるのです。

 これまでの、急な痛みに共通する、精神的な状況を、薄々は、わかっているのです。

 ただ、締切に急かされていたりすると、どうしても、痛いのを我慢して、仕事を続け、さらに悪化させて、本当に、具合が悪くなったりした。

 年内の提出物は、ほぼ全て、出し終えました。

 少しゆとりができた、今、正面から、…いや、違う。

 振り向いて、背中合わせに、向き合いましょう。

 すっかり終わっているのに、ずるずると、引きずってやまない、過去たちに。

 今年は、本当に、いろいろなことがありました。

 同じ部屋に、同じように暮らしているのに、その中身は、去年とは、一つもかぶらないくらい、総とっかえされてしまった。

 前代未聞の、疫病の流行に、巻き込まれ。

 十四年間、勤めた会社が、倒産し。

 熱心なファンだった人を、二人とも、失い。

 父が、認知症を患い、施設に入って。

 まだまだ、全然、ついていけていない。たった半年では、とうてい、消化しきれるものではない。

 すぐにでも、戻れそうな気がする。

 疫病なんて、なかったんだ。

 電車に乗って、オフィスに行こう。

 あの人の小説を読んで、あの人の歌を聴いて。

 大晦日には、実家に帰ろう。

 ミントを連れて。

 …?

 ずきん。

 背中が、ぎゅうと痛みます。

 違う。のサインです。

 違う。

 戻るところは、どこにもない。

 オフィスは、がらんどうだし、実家には、母だけ。

 大好きだった小説も、CDも、みんな手放してしまった。

 疫病も、感染が拡大する一方。

 決して、なかったことにはならない。

 戻れない。

 何がどうなろうとも、去年、いや、今年の初めまでの居場所には、二度と、帰れない。

 ぴーぷす、ぴーぷす。

 背中にしがみついて、ぐっすり朝寝のミントの、元気な寝息を聞きながら、膝を抱えて、すすり泣きます。

 戻りたいわけではない。

 戻ったら、ミントは、いないのだから。

 ミントにまつわる、西武ライオンズのバスタオルや、壊れた髭剃り機や、巨大なピカチュウや、エコバッグ、電子レンジ、スポンジ、ハンドミラー。

 何もかも、色褪せて、意味を失い、ただのゴミになるのだから。

 前と、後ろ、どちらにも顔を向けることは、ただの人間には、できません。

 どちらかを、選ばなくてはならない。

 というか、選ぶことなど、できはしない。

 背中は、背中。腹は、腹。

 終わったのだ。

 背中よ、もう、苦しまなくていいよ。

 腹にも、背中にもくっついてくる、可愛いぬいぐるみの猫と、生きていこう。

 顔の向く方が、僕にとっての、前だ。

 たまには、こうやって、振り向くから。

 振り向いて、泣きながら、手を振るから。

 さよなら。

 今まで、ありがとう。

 ごめんね。元気でね。バイバイ。

 ミントを起こさないように、ぐっと息を詰めて、泣いて、泣いて。

 いつの間にか、眠ってしまったみたいです。

 にーのう。

 ぽさぽさと、鼻をこする毛皮で、はっと目を覚ますと、もう、午後一時。

 しまった、寝過ごした。

 …まあ、いいか。昼は、あるもので、済まそう。

 冷凍の、うどんがあるよ。

 卵を落として、月見にしようか。

 どう、ミント?

 めやーん。

 何でもいいから、早く食べさせなさい。まとわりつくミントに、微笑んで、抱き上げて、ゆっくり起き上がり、一緒に台所へ。

 これからも、背中は、痛むでしょう。

 その都度、僕は、振り向くでしょう。

 それが、生きているということ。生きていくということなのです。それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?