エリートは、人より優れていることを以下にして証明するか

挨拶


こんにちわ、はじめまして。
梨原沙成です。

高校時代の恩師のの言葉

エリートは一流大学につとめ、大手の会社に修飾することだと思っていたわたしは、生物の先生の言葉に空いた口がふさがりませんでした。
エリートは、人の役に立つ人のことを指し占めるというのです。
論文を書かないの?
エコなシステムを開発しないの?
多言語を扱える天才的な翻訳能力を兼ね備えてもいないの?

「人の役に立つエリート」なら、わたしにもできそう

10代の少女は多感です。
果敢でもあるかもしれません。
生物の先生の言葉を受けて、それならできそうと思ったのを覚えています。

令和のエリートは、「人の役に立つか」

もちろん役にはたつでしょう。
しかし、それ以上に先進的であることと、他分野において教養を身に着けており、物知りだったり、頭の会見が早いなどの、「一味違う」要素を求められます。

エリートの定義


エリートは、優れているのはもちろんだ。
優れていることは、その人が残してみた成果物や成績や学齢で十分わかる。
そこにエリート要素をいれるなら、人の役に立つことなのだ、と、わたしは信じている。
理由は、あけすけで申し訳ないのだが、「それならどうにかできそうだからだ」

エリートに成たい人は、どうぞ、困っている人を助けてみてください。
知らない人に声をかけるのは勇気がいると思うので、一緒に暮らしている家族や職場の友人などから徐々に始めるのがいいと思います。

自分の価値が揺らいだときにはどうぞ

わたしはいつもエリートに成たいと思っています。
子どもの同下校の際に、見守りたいをする人も市民体育祭を主催する人たちもエリートです。
いつだって、誰かを助ければ、自分は自分を肯定できる材料に成り得るんだと、わたしは思います。

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