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わたしの考える最強の新興宗教について聞いてほしい

挨拶

はじめまして、こんにちは。
梨原沙成と申します。

60歳になったら新興宗教を立ち上げて宗祖様をしてみたいなと思っている

わたしの文章を読んでくれている人がちらほらいて、やはり嬉しい。
励みになるので、是非人助けになると思って、「スキ」ボタンを押していただきたい。
そんなわたしは、人助けは興味はないが、大勢の人数に思想を植え付けるのは楽しそうだと常々思っていた。
胸糞悪いニュースばかりだが、それでも、わたしの宗祖様になりたいという野望は何故か揺るがなかった。

教団名もきめた

昨今、多様化やダイバーシティなどの言葉を耳にすることが多い。
十人十色、蓼食う虫も好き好きと同語だと思っているのだが、根本的に違うのだろうか。
わたしのこの解釈を受け取って、「梨原は、多様化を理解できていない」と心配になった人がいるかもしれない。
わたしの意見を先に述べておくと、多様なあり方に程度をわきまえて以前より柔軟に対応できるケースもあるとは思うが、実際は困難な課題にぶち当たることが多く、頓挫すると思っている。
ゆえに、多様化に沿うものではなく、その思想から乖離する教義を掲げようと思っている。
教団名は、世界分裂教会にしようと思うがどうだろうか?
センシティブだろうか?

わたしの生きづらさを解消する

わたしは、生涯を生まれた土地で過ごすことにあまり興味はなかった。
会社から近い、実家から遠すぎない、その他諸々の交通の便や周辺の公共施設・教育機関・娯楽施設や病院などを確認して、自分の収入にあった地域に住むようにしていた。
大阪市内は、便利だったが、あまりにも粗暴な街に感じた。
風俗店の宣伝カーが日中走り回っているのが、市民としては参る。
兵庫県内の大阪通勤向けのベッドタウンに引っ越しした。
今度はそこそこ不便だが、民度が高すぎた。
庭に枯れ葉一枚落ちていない住宅地の中で、私の家だけはADHDの人間がおざなるながらも市民生活を模倣しようとしているのが丸わかりだった。
段ボールを紐でくくっただけで放置だ。
これはひどいとは思うのだが、手が回らないのだから仕方がない。

わたしの考える世界分裂教会

教団名は、尖りすぎただろうか?
世界細分化教会でもいい。

だが、教団名にはもちろん、わたしの掲げる理想に叶うであろう理念がここに詰まっているのだ。
是非一読していただきたい。
わたしの考える世界分裂教会では、属性を重要視する。
先住民の属性を考慮して、その属性との相性を考慮して、移住を決めてほしいのだ。
そう、世界分裂教会は、「気にある人同士が集落もしくは更に少希望な共同体として暮らすこと」と「多様化を受け入れずに、属性の近い人同士が集落を築き上げていくこと」を教義に掲げている。

異端者の町は存在するか

記事をここまで書いて気がついたが、漂流するように生きてきたわたしは、終の棲家を探しているのだ。
そして、わたしの教義に近しいものは歴史を紐解いてみると、似たようなものが点在すると思う。
それはおそらくことごとく瓦解してきたはずだ。
それを踏まえて、わたしはわたしの願う集落に帰属したいのだ。


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