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人社会における強い生き物は誰なのか?

挨拶

はじめまして、こんにちは。
梨原沙成と申します。

賢さと強さのいずれを優先するか

強くありたいか、賢くありたいか、いずれかを取捨選択するような人はいるだろうか。
強さも賢さも生きる上では、当然あればるほど良い。
だが、どちらかの能力しか与えられないのであれば、わたしは賢さを選ぶ。
わたしは、常に後者に鮮烈なあこがれがあった。
頭が良いと思われたい、だのに、まるで理解力がなくて、杜撰なことしかしてこなかった。

真の強者は誰なのか

表題の件に戻ろう。
子供の頃、強さとは何かについて突き詰めて考えていたことがあった。
筋骨隆々たくましく、腕っぷしが良くて、喧嘩で負けたことはないという人間が強いのだろうか。
それが男性だったとして、異性からモテるだろうか?
強い人がスキ!と思う女性にはウケるだろうが、力が強い彼自身が選んだ女性は容姿端麗で見とれるような人だとしてどうなるだろうか。
もし、その美人さんからけんもほろろに振られ、地頭が良い資産家の男性とくっついたりしたら、彼の強さは、彼の中で価値を失わないだろうか?
だが、しかし、資産家の男性も若かりし頃はまばゆいばかりに美しかった伴侶の容姿を毎日見ているうちに、陳腐に感じてしまうだろう。
また、美しい彼女は、子どもが生まれたら、子どもを守ることや育てることに夢中になるだろう。
そうなると、資産家の父と美しい母から生まれた子どもが、人社会の強者なのだろうか?
お金も稼げない、トラブルが起こっても収束する術を持たない、経験値も低く、知識も大人に遥かに劣る子どもは、しかし筋骨隆々な男性とタイマンで対決したら負けてしまう。
では、やはり腕っぷしが大事なのか・・・。
と、いうふうに、強いやつを夢想しては、その強さでは太刀打ちができない存在を引き合いに出して、その強さを無効化するというマジカルバナナのような思考遊びだった。

社会的弱者とは誰なのか

一方で、弱者とは誰なのだろうか?
会社から正規雇用されない。
結婚したいのに誰からも相手にされず独り身。
みんなができることができない。
そういう人が弱者なのだろうか?

私達は人なのか?ヒトなのか?

人間社会で生きていくことを前提とする場合、わたしたちは腕力や美貌、知力、資産力、専門的な技術力や臨機応変な交渉力、あるいはただただ知名度が高いというだけでもいいかもしれないが、あらゆる強さが必要になる。
その強さが活きてくるシーンもあるが、その強さがなんの役に立たないシーンも有る。
しかし、生物としてのヒトとして捉えたときにはどうなのだろうか?
健康な体と体を最低限清潔に保ち、食料を自力で採集するなどの成果痛力があれば、生物としては十分なのではないだろうかと、わたしは思う。
人間社会での強者性は、個人の能力に依存しないのではないだろうか。
一人で、腕力と美貌を兼ね備え、知力、資産力、専門的な技術力や臨機応変な交渉力を持ち合わせ、知名度も高い人がいればいいが、さすがに無理があるように思う。いるにはいるだろうが。。。
わたしは、人間社会での強者性は、他者とのつながりが強固であることが要ではないかと思う。
弱者は、腕力と美貌を兼ね備え、知力、資産力、専門的な技術力や臨機応変な交渉力を持ち合わせ、知名度も高いという軌跡のような人材であっても、その人物が孤独であれば、彼は弱者であると言える。

まとめ

わたしのテキストから何かを感じ取ってもうことができれば嬉しいと思う。
わたしは、もし燐廻転生するなら、容姿端麗な若手芸能人カップルの子どもに生まれたいと思う。
強さは外部委託して人社会から追い出されたら、野宿どころか半日屋外で過ごす体力もないわたしだが、友達をたくさん作りたい。
途方もなく配慮のない言葉だが、友達には興味はない。しかし友だちが多いことで今後の人生を切り抜けたいと思う、「

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