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ここ10年をかなりふわっと振り返って声優の”業界プロデュース”を考える。

声優という仕事は、いまだ発展途上で不確定的だと思う。

そんな声優の仕事を眺めているのが好きだ。

一応そんな私も一声優なので、渦中なわけだが。


ここで私が何を思って不確定的と言っているのかというと、比較対象として実写の俳優をイメージしている。

実写の俳優は声優と比べて、仕事を選択する権利を既に世の中に認められているように思ったりする。俳優でありながら歌を歌う人もいる。バラエティ番組の司会をしたり、ラジオのパーソナリティをやったりする人もいる。あるいはアパレルブランドを展開する人もいる。トークやバラエティ方面に行きたくなければ、そっちに行かないように、好きな言葉ではないが”本格派俳優”的な自己プロデュースをしていってもいい。みずから監督としてメガホンを取ったり、プロデューサーとして立ち回ったりする俳優もいる。

要するに、世間は俳優の俳優業以外のアクションにさほど違和感を覚えない土壌が既に整っている。どのルートも誰かしらの前例が思い浮かべられて、まったく同じとは言わないがニアイコール的な存在が前にいて、その前例を辿りつつ自分なりのルートを切り拓いていく、ということが認められている(ツッコミどころが多い考えかもしれないが、すみません、一個人のイメージということで流してください)。これは単純に俳優の歴史が声優よりも長い分、開拓が進んでいるためかもしれない。

(菅田のラジオ好きでした。アパレルグッズ買ってなくてすみません。)



対して、声優はまだまだ新規ルートが多い。正確には完全な新規ではないにせよ、まだまだ世間的には浸透していないがゆえに異色に見える世への出方がたくさんあるように思う。

たとえば歌番組。『ラブライブ!』や『ウマ娘』など、作品イベントなどの範囲を越えたメディアへの露出はまだまだ珍しく、それがあるだけでSNSでは盛り上がる。バラエティ番組に声優が出るのも然りだ。しかし、それはもちろん好意的な盛り上がりでもあるのだが、一方で「だ、大丈夫かな……!?」的な謎の心配も含む。声優あるいはアニメやゲームといった元となる作品が、不特定多数の人の目に触れる場で受け入れられるのか、ファンは少なからずドキドキしている(もはやこの感覚も古くなりつつあるのかもしれないが)。

(かつて映画館でアルバイトをしていまして、このポスターが届いたときはめちゃくちゃ「だ、大丈夫かな……!?」と思いました。なんかいろいろな感情でハラハラしたのを覚えています。)



何かやったときに「あ、そう」と流されないのは、素晴らしいことだ。声優という存在への世間の関心度は確かに年々上がり、メディア露出をはじめとする多様な声優の仕事を、本当に現在進行形で世間に浸透させていっている真っ最中のように思う。

と、ここまではあくまで世間側の視点で声優を見てみたが、ちょっと視点を声優側に戻してみる。

ここ10年ほどを振り返ると、声優に求められる仕事は変化しているし、明らかに増えている。世間が声優の新たな活躍に驚いたり、昂揚したり、時に不安になったりしているとき、実は声優も同じように驚いて、ともすれば「えっ、これって声優の仕事……?」と戸惑っていただろう。現在のように声優がバンバン顔出しをするビジョンを思い浮かべて声優になった人は、10年もさかのぼればまだ少なかったと思う。

戸惑うのも無理はない。なにせ前例がいないので、一発目のイメージ力が試される。イメージ力に加えて、性格にも左右される。みんながみんな未知すぎる領域に「おらワクワクすっぞ」と前向きに取り組めるわけではない。はっきり言って「やりたかったことと違う」という違和感すらあった。さらには、声優が発展途上の職業であるがゆえのギャンブルがあった。果たしてその新たな領域の仕事をやるべきか、やらざるべきか、はたまた「自分はタイプ的にやらなくていい」なのか。波に乗っかったほうがオイシイのか、判断材料が少なかった。


今でこそ”自己プロデュース”なんて言葉が常用化しているが、こんな業界が変化しまくる渦潮の中で自己プロデュースもへったくれもない。もはや自己プロデュースを越えた業界プロデュースが、うねりにうねって数年過ぎて、ようやっと振り返れるくらいの落ち着きに至っているように思う。

うねる荒波にしがみつき、あるいは乗りこなし、今の売れっ子声優の方々がいらっしゃるわけで。そこにどれくらい意図的な自己プロデュースがあったのか、狙い通りなのか、全然狙い通りにならなかったのか、そういう話をいろんな声優さんにインタビューしてみたい。自己を越えて業界の拡大や飛躍の一端を担う責任感を抱いていた方もいるかもしれない。



ところで、この記事はタイトルを先に考えたクチでしたが、もとのタイトルは「声優・村瀬歩さんとジェンダーレス時代の親和性」でした。あれ、おかしいな……。

時の声優たちはどれくらい仕事を選んできたのか。あるいは流れに身を任せてきたのか。村瀬歩さんを基軸にしつつ考えてみようと思っていたはずなのだが。


次の記事では、ハイトーンボイス男性声優の増加、ジェンダーレス時代の到来、ありそうでなかったルートの出現、そこに入るか入らないかのギャンブル、少年ボイスをやりたくてもやれない女性声優、とか、そんなことを考えたいと風呂敷を広げつつ、この記事を「声優・村瀬歩さんとジェンダーレス時代の親和性」の前書きとして、体のすみのすみっこでいいので置いておいていただけると嬉しく思います。

いつになるやら。お楽しみに。

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