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amazarashiについて語りたい①~amazarashiとの出会い~

歌詞を見ながら聴きたい曲が、いまいくつあるだろう

そんなキャッチコピーに頷かざるを得ない。

きっかけ

私がamazarashiと出会ったのは2014年頃のこと。当時付き合っていた彼女(現在の奥さん)から紹介されてのことだった。

その時の印象は、「いまいちピンと来ない」が正直なところだった。

というのも当時、通勤は自転車、帰宅は21時ごろ、土日は平日できないゲームを、とじっくり腰を据えて音楽を聴ける時間がなかったからだ。

しかし翌年、関東へ引っ越したこと、それに伴って転職して通勤が車、帰宅は18時になったことで、音楽を聴く環境が整った。

さらに当時読んでいた『東京喰種』がアニメ化し、『季節は次々死んでいく』がEDになったことで、amazarashiに触れる機会はぐっと増えた。

初のライブ参戦

さらにさらに、私をamazarashiにハメたい奥さんが、amazarashiのライブに誘ってきた。

「360°虚無病」


これは衝撃だった。

当時の私は『季節は次々死んでいく』くらいしか頭に入っていなかった。それくらいの知識で臨んだライブだった。これが不味かった。

amazarashiのライブはその形態が大きく2つあると、現在の私は理解している。1つが「通常のライブ」。これは、一般的なライブのイメージ。演奏があって、MCがある。至って普通の進行だ。もう1つが「ボーカル秋田さんの書いた小説をベースにしたライブ」。虚無病はこちらの形態だった。

怪しい雰囲気の会場、朗々と小説の1節を読み上げ、音楽をかき鳴らし、観客は手を挙げる、レスポンスを返すでもなくただ呆然としたようにバンドを注視し聞き入る。

そしてまた小説を読み上げ、音楽パートへ。

物語は進行し、ライブも終盤へ向かうが、この観客の雰囲気は変わらない。小説の内容も宗教じみた内容だったから私は混乱した。

えっ、なにこれ?ガチの宗教行事?と冒頭、その世界観から取り残された。いや、ある意味では没入していた。今思えば、奥さんよ、よくこの形態のライブに連れていったな。普通のライブの方から入らせてくれよ。

しかしまあ、秋田さんのがなり声やら繊細な優しい歌声やら、ポエトリーリーディングの迫力の方が私の印象の全面に出てきた。

すごいものを見た。なんで今までスルーしてきたんだ。と思った。舞台を囲むように紗幕が張られ、そこに歌詞が流れるのだが、言葉のひとつひとつの力強さ、それが連なった時の重さや鋭さ。

自分の中にある、自分自身や大袈裟に言えば社会に対する欺瞞や疑念が露にされる感覚。

ライブから帰る電車では今も、「すごい。やばい。」しか言えなくなる。語彙が死ぬ。

ライブを終え、毎日amazarashiを聴くようになる。通勤中に耳を傾けて聴いて、帰宅後に歌詞を見ながら聴く。

断言できる。歌詞を見て、その意味を探しながら聴くための歌だった。

そして現在

そこから私のamazarashiへの関心はピークを保ったままだ。

奥さんよりもハマったのでは?と思うくらいにはハマっている。なにせその日から通勤中はほぼamazarashiの曲しか聴いていないからだ。

さて、今後も私はこちらでそのamazarashiに関する記事を作成し続けるだろう。関心が持てるよう、共感をいただけるよう、発見を与えられるような記事を書いていきたい所存です。


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