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精神保健福祉士を目指すあなたへ⑨~倫理綱領と専門性~

精神保健福祉士には、専門職として「倫理観」が求められます。
その内容や考え方の方向性をまとめたものが、『精神保健福祉士の倫理綱領』です。
これは国家試験でも問題として出されますが、それ以上に、精神保健福祉士として忘れてはいけない点が記載されています。

「倫理観」または「価値観」は、その人が育ってきた環境に左右されます。
ひとりの人間としての私と、精神保健福祉士である私は、場合によっては違う視点、考え、つまりは倫理観や価値観を持って、事実を認識し、感じ、思考し、行動しています。

今回は、改めて『倫理綱領』を眺めながら、専門職として重要な視点や考え方をまとめ、専門性について考えます。一方で私自身が普段現場で感じていることもまとめてみます。


倫理綱領について

この倫理綱領全てが重要なわけですが、特に重要なのは「前文」と「目的」だと思います。
前文では、精神保健福祉士は専門職として個々人を大事にして、専門性の資質向上に努め、共生社会を目指そうぜ。的なことが書いてあります(ざっくり)。
また目的では、精神保健福祉士は専門職としての価値を示して、クライエントや社会から信頼を得よう。他の専門職と協力して、共生社会を目指そうぜ。的なことが書いてあります(ざっくり)。
これらは大事ではあるけれども、総論的で概念的で、わかりにくい。そもそも多用されている「専門職」とはなんぞや。こちらは後述で考えてみましょう。

倫理綱領ではこの後に、「倫理原則」だの「倫理基準」だのが続きます。
そこではクライエントの人権や自己決定を尊重すること、クライエントからの批判などは謙虚に受け止めること、専門職として価値に基づいて理論と実践を向上させること、クライエントの利益を最優先することなどが書かれています。

私たち精神保健福祉士は、その専門職としての名の下に様々な業務に就いていますが、大原則としてこの倫理綱領を守りながら、その上で各業務の目的に向かって支援を実践していこうね、という話です。
この考えがあるからこそ、自分たち専門職は互いに業務を繋げ、ひとりのクライエントに対して支援を展開しているのだと考えます。その根っこがなければ、人それぞれの倫理観、つまり価値基準・価値観で業務を運用していくことになり、それは独りよがりのものになってしまいかねないとも思います。精神保健福祉士、あるいは社会福祉士などの専門職が同じような視点、考え方の根っこ、価値観、倫理観を持つことで、協力し合う土壌ができ上がるのです。ここが崩れてしまうと、虐待や支援者主導、独りよがり、押し付け・・・といったよくない対応に繋がっていくのだと思います。

日々の業務では「倫理綱領にこう書いてあったから~」なんて考え方はしないわけですが。学生の頃にしっかりと読んでおくことは重要だと思います。今回改めて読み直して、当たり前だけど大事なことが書かれているな、と再確認しました。

精神保健福祉士の専門性

これを語るにはまだまだ経験が足りないと自覚しています。まして一言で「専門性とは○○である」なんて言えないでしょう。

「精神保健福祉士_専門性」でググってみたところ、厚労省が平成31年に『精神保健福祉士に求められる役割について』というものを出していました。これは精神保健福祉士の養成に関しての見直しをおこなった会議で出された資料ですね。
その中でいろいろと意見が出されているようです。詳細は長いので、関心のある人は当該ページを参照してみてください。

また精神保健福祉士法の第2条では、
精神保健福祉士とは、(中略)精神障害者の保健及び福祉に関する専門的知識及び技術をもって、精神科病院その他の社会復帰の促進を図ることを目的とする施設を利用している者の地域相談支援の利用に関する相談その他の社会復帰に関する相談に応じ、助言、指導、日常生活適応のために必要な訓練その他の援助をおこなうことを業とする者をいう
とあります。

なんやかんや言うとりますけれども、精神疾患や障害のある人に対して、社会復帰に関する相談を聞いて、アドバイスや指導、訓練をおこなうことを精神保健福祉士の仕事、役割と説いています。
その役割をこなす上で、必要になる力が専門性なのだと理解しています。

私が勤めたところのある人は、精神保健福祉士とは「待つ力ときく力のある人」と言っていました。その心はしっかりと聞けなかったのですが、経験年数から含蓄のある言葉だったのだと思います。なるほどな、と思う。そこら辺にいる人も、待って、きくことができると思いますが、そこに精神保健に関する知識や実践が伴うと、待ち方やきき方が変わってくる。つまり知識や実践が乗った行動になることで、そこらの人とは違う「精神保健福祉士としての待つ、きく」となるのだと思います。それが専門性ということだろうか。ふうむ。

私が支援をする上で特に気にしていることは、なんだろうか。
様々あるけれど、やはり「きき方」になるだろうか。

職場に訪問すると、企業の担当者からは「本人がどう考えているのかわからない」という言葉をよく聞きます。担当者と本人のコミュニケーション不足では、と思うけれど、日常的に話をしたり、時には1時間以上かけて話してくれたりする人もいます。
それでも、「本人のことがわからない」という。

そこで私が担当者と一緒に本人の話を聞くのだけれど、なるほど。本人は本人の言葉で話していることが多く、一般的な意味と誤用していたり、周辺の説明が足りていなかったり、そこに幻聴や妄想などの病状が影響していたりと、様々な状況がみえてくる。
そのあたりのツボを押さえて話をしていくと、担当者もそれに乗っかって質問を重ねてくれる。そうすると、職場のことをよく知っている担当者の方が「ああ、あの仕事のことね」と理解に繋がっていくことが少なくない。
この、「ツボ」の発見の早さと、的確さが専門性に繋がるのかな、と最近は考えている。私がよくツボを押さえている=専門性が高い、という話ではないですよ。あくまで例です。そんなに上手くいくことは少ないのです。

あるいは「障害」が影響している部分については、単刀直入に聞けず、ぼんやりと聞いている担当者が多いイメージ。その点、私はズバッと聞いていく。
「それは幻聴ですか?事実ですか?」というところを本人の病識に合わせて少しずつ分解していく。そうすると、本人が事実ではないと気付いたり、事実だということがわかり、担当者が対応してくれたりすることがある。
このズバッと障害のことを意識して話せる(聞ける)点も専門性だろうか。

とまあ、上手く言えないけれど、このように、精神障害に関する知識や、いわゆる「クライエントは生活者である」という視点や、福祉制度の理解などなどの学んだ知識や経験などなどなどなどを「きき方」に落とし込んで、具体的に必要な対応・環境設定に繋げていく力が、私の現在考える「精神保健福祉士の専門性」だろうか。
どうだろうか。伝わったろうか。納得できるだろうか。
あるいは読んでいただいた方の「専門性とは」と考える部分に何らかの影響を与えられただろうか。

実際の支援の中で想うこと

実際、こういった「倫理綱領」を読んでみて、そして「専門性」について考えてみて、じゃあ実際の支援の中でどうなっているだろうかと考えてみる。
一度私自身を棚に上げさせていただきますが、結構アウトな支援者も少なくないと思います。

というのも、全然振り返りとかしていないんだろうな、という人が多いのです。
所属する事業所の意向に沿って支援を展開している人だとか、その人個人が想う「よい方針、よい選択」を押し付けているような状況があるのです。

確かに、組織人である以上、所属する事業所の意向は支援者個人にとっても重要だと思います。しかし、「〇ヶ月以内に就職しないと支援ができなくなるので、〇月には何とか就職してもらいます」とか「トライアル雇用での就職でないと、支援ができなくなります」みたいな状況が多すぎないだろうか。
本人の状況を把握して、必要な支援をおこなうのではなくて、おこなえる支援から本人に提案をおこなっている(選択肢ほぼなくない?)ような。

また、「私はこれでいいと思う」みたいな発言多くないですか。
その根拠ってなんですか。本人の意向はどこに行ったのでしょうか。それって専門性から出た言葉ですか。それともあなた個人の意見ですか。

そういったことを繰り返してはいないでしょうか。だからクライエントから信頼されないし、クライエント自身も考える力が育たないのではないでしょうか。

都度都度の振り返りは重要です。
私自身、棚に一度上がりましたが、今降ります。
私自身も、知らず知らずそういった思考になることもやはり0ではありません。
しかしそうならないように、事業所の中で同僚や上司に意見を聞いてみることをします。その前に一度よーく考えます。
そもそも困ってるのって誰だ?この人どんな希望してたっけ?この企業なんで障害者雇用してんだっけ?俺は仕事で似たような失敗した時どうしてたっけ?先輩なんて言ってくれたっけ?その時どう感じたっけ?そういえば制度上この判断って企業に不利益生じないか?いやまず本人に話聞かないとなんともならんな・・・みたいな。

特に、伝えたい言葉が出てきても、それは自分の立場から言うのが適切か、その根拠は何か、その言葉を伝えた後の本人の反応はどうだろうか、その際にできることはなんだろうかと考えるわけです。
さらに専門職としての私の意見と、30数年生きてきた私個人の経験から来る意見は、必ずしも一致しない。それを自覚して「支援」に落とし込んだ発言なのかと自問自答をするわけです。

まあでも、みんなしてるのかもな。深い考えがあっての発言なのかもな。
そう思って「なんでそう思うんですか?」と聞くと、答えられなくて渋い雰囲気になる。
頼むから考えてくれ。だから支援者の評価が世間から低いんだよ、と思ってしまう。

まとめ

倫理綱領だの、精神保健福祉法だのに「専門職として重要にしてね」ということが案外書いてあります。また、「障害者基本法」とか、各虐待防止法なんかにも書いてあるかもしれません。
自分の考えで倫理観を持つことは重要ですが、裏付けされたものがないと、それはどこまで行っても「私の考えた倫理観」です。国や職能集団が作った倫理観は、様々な経験を経たえらーい人たちが考えたものなので、納得できない、ということはあまりないし、精神保健福祉士の多くの人が根っこにする考えですので、ぜひ頭に置いておいてほしいし、置いておきたい。

その上で、どこかで「専門性」について考えてみることはとても重要です。
これがないと、ただの気のいい話しやすい雰囲気のおじさんになってしまう。専門性を意識しないと、きっと生まれ持ったセンスで支援をおこなうことになってしまう。
そんな天才は極々一握りです。なので、支援を通して「この辺が精神保健福祉士っぽい視点だな」とか「今の精神保健福祉士っぽい技術だ!」とどこかで振り返ることが必要なのかも。
最近改めて思う。よくよく話を聞けばわかることが多いな、と。じゃあこの仕事、やっぱり誰でもできるのでは?だって「よく聞けば」わかることだもの。と思うけれど、なんで「よく聞く」ことができる人、できない人がいるのだろうとも思う。
きっとそこの境目にあるのが、「専門性の有無」なのではないかと。これは一言では言い表せないもの。これからも折をみて振り返っていくもの。果てのないもの。

そしてその専門性を意識して日々支援ができるといいなと思う。
私の人生から出てきた言葉ではなく、この「専門性」の乗った言葉を。しかし時には、「これは精神保健福祉士としてではなく、ひとりの30代男性としての言葉」と意識して言葉を吐くことができるのもまた「専門性」なのかも。
これは言葉遊びの範疇でしょうか。

学生の方は国家試験が近づいてきましたね。そんな今やることではないですが、実習の時や就職後に、よかったら倫理綱領などなどを読んでみてください。
支援に迷った時、特に「これって虐待に繋がらないかな」と気付いた時に読んでみると、気付きがあるかもしれません。
できればこの先出会う専門職の人の中に、「専門性」について話せる人がいるといいですね。
今後も気付きがあれば触れていきたいところでした。

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