正義感と言う名の悪意。

世の中で良くありがちな「叩き」のことで思うことがあるけど、他人のことを言いたくないので、自分の例でしか話せないけども、

私は幸運にも自分で思っている以上にSNSよりもリアルでは友達が居てくれて、色んな人が助けようとする優しさの意味でも、あるいは逆で攻撃的にも傷つけようとする意図があってもそれでも「愛情」や「愛情の裏返し」で周りが正直に言ってくれるので20代の頃までにかなり勉強したつもりwwwもう感謝の心しか無いという程にね。

でもね、傷付くのは正直言うと他人へのその場での「甘え」だと思う。人が何か言ったことのせいにして甘えているだけ。確かに、色んな人に叩かれたりしたら嫌な気持ちになるけど、私はそういうのは学生の頃の鍛錬で麻痺しているから、不完全で高慢ながらも時々イラつきはするけど、傷付くことは皆無。それに、気付けば自分も相手のことを知らないうちにも傷つけてしまっているし、被害者面は確かにお互いにできないと思っている。

1対1の正々堂々としたやり取りではね。

ただ、ネット上の不特定多数からの叩きは、叩く側が9割悪い。叩かれて当然だというのを言い訳にしてその人を正義感という名の悪意で袋叩きにするように叩いているから。無責任なノリだけで言っていながらにして、とんでもなくエグイことを平然とまるでお笑いのツッコみのように言うから、叩く側にしてはただ遊びたいだけなんだろうけど、言われた側はね、まぁ、同じ立場にならないと解らないと思う。

イジメもそう、イジメた側は誰をイジメたかなんて覚えてもいないから反省もしない。そもそも遊んでいたつもりだから。反省をする人は再会した時に謝ってくるだろうしね。イジメられた側が赦したのならその必要も無いけどもね。

イジメられた側の勝利は報復ではなくて心底「赦す」ことと「成長」することのみ。

それに、正義と正義感は違うからさ。正義感というのはあくまでその人の価値観そのもの、あるいは、色んな世間体や常識やらで対象を許せない・赦せない言い訳であって必ずしも正しい訳じゃないから。

どんなに良いことを時々言おうとも、言うことに多少の説得力があっても、そこにその対象を傷つけたい程の個人的な恨みや怒りがあるのなら正しくは無い。

ただ、私の場合は自分のことをよく知らない人に何を悪く言われようとどうでも良いっていうのがある。知らないからこそ言うってのもあるしね。私の場合はその方々を知らないからこそ余計に言わないけどね。

それに、過去に情けなくも一生分悲しい涙を流したので、あとはもう感動や喜びの涙しか残っていない。でも、共通の知り合いの悪口はもう聞きたくないね。

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