プレゼント好きは感謝乞食

自分の好意は感謝されなければならない感謝乞食たち


人の好意を受け取らない人は失礼!と怒る人たちが一定数いる。

そんな人たちはどうやら自分の好意を拒否した人たちを、失礼で人間としてどこかおかしい精神を持った者に違いないと定義しているようなのだ。

例えば彼女に高価なプレゼントを用意したのに、そんな高価なものは受け取れないと受け取ってもらえなかった男性は、怒り心頭していた。

疲れた後輩に缶コーヒーをそっと差し出したら、コーヒーは嫌いだと受け取ってもらえなかった先輩も、後輩は礼儀知らずだと怒り心頭、次の日から塩対応を貫いているそうだ。

この人たちは一体なんだろう。

誰かに喜んでもらいたかったのではないのか。

その誰かが喜んでくれなかったのなら、それはその誰かが悪いのではなく、自分の行いやチョイスが間違っていただけである。

ものを受け取る側に拒否権はなく、それがどんな時でも、どれだけ疲れていても、どれだけ気分が落ち込んでいても、恋人と別れたい時でも、嫌いな相手からのものであっても、ありがたがってお礼をいい、好意というアクションを起こす側を歓待し、礼を述べ、後日お礼の品を渡されねばならないらしい。

そうでなけれな失礼な奴、劣等感のあるどこかおかしい奴とのレッテルが勝手に貼られる。

なんという…。傲慢で自分勝手な人達だろう。

いらない。

ただひたすら、いらないのだ。

あなたの好意も、物品も。

プレゼント好きが身勝手な行動を起こしさえしなければ、すべてはフラットに何も起こらず過ぎてゆく。なんと平和なタイムラインだ。

自分で勝手に行動して、それが外れたことに、あろうことかその「喜ばせたかった対象に腹を立てる」など、人として未熟にもほどがある。

プレゼント好きは、ものを贈るという行為に特別な感情を不随させている。それは、物品はともかく、「相手の事を思って行動した事、気持ちを何よりも尊重する」という信念である。

だからたとえ相手からもらったものが泥饅頭や、穴のあいた靴下であったとしても、それが自分の事を思って持ってきてくれたものならお礼を言って受け取るのだそうだ。

(子供がままごとで持ってきたならまだわかるが、社会人同士、恋人同士、義理の親からの贈り物として泥饅頭を貰ってもそう思えるのだろうか?)

だから自分以外の全ての人間も、いついかなる時であっても泥饅頭や穴あき靴下を喜ばねばならないそうだ。

その信念は自分だけが持っていればよいものを、他人にもそうであれと押し付ける。

だから理解できない。行為も物品も迷惑に感じるという気持ちがわからない。わからないから「どこか精神を病んでいるのではないか?心に劣等感を抱えているのではないか?人間としてあるまじき失礼なこと、礼儀知らず」と怒りの海にダイブして、あろうことかこちらを攻撃してくる。

「自分の好意は受け入れられて当然であり、それを拒むものは礼儀知らず、人の心が無い」などと、どうしてそんな恐ろしいことが前提として存在しているのか、その異常さに気づいてほしい。

誰かを喜ばせたいなら、自分が嬉しいこと(物を贈る事)ではなく、「その人が喜ぶこと」をしてあげればよい。それがなぜできないのか。

その人が迷惑だと思うことは許さず、自分を受け入れ感謝されなければ気がすまないのは何故なのか。

代わりに解答を書いておくと、彼らが満足させたいのはその対象たる人物ではなく、自分自身の「やった!好きな人を喜ばせたぞ!私ってすごい!いい人間!」という気持ちだからである。そこに対象たる人物の感情は存在しない。むしろどうでもいい。どうでもいいから、「相手の望むもの」ではなく、「自分の好きなもの」を贈る。

そして大切なのは「相手を思って行動した自分の気持ち」なので、物品は何でもいい。それが腐りかけのロブスターであったとしても、相手は喜ばねばならないのだから、やっぱり何でもいいのである。

そして「私の好意をいっぱいに詰め込んだものをプレゼントするのだから、喜んで感謝してお礼をして、私を好きになるのは当然」と思っている。

どちらが身勝手で失礼な人間なのか。

身勝手がゆえに、これを拒否されるとものすごく傷つき、凹み、怒る。

い や 、し ら ん が な。

プレゼント好きは感謝乞食

感謝されたくて、自分の好きな人に好きになってもらいたくて、その人の役に立ちたくて、一番やってはいけないことをする。そして好きだった人に持っていた気持ちを反転させ、憎み恨むようになる。

本当にその人の事が大事なら、その人が苦しむような事をしてはならないし、ましてや偽りの感謝や笑顔を求め、自分を受け入れてもらうのが当然などと思ってはならない。

プレゼントを拒否されたからとて、人間性を否定されたわけでも、あなたという存在そのものを拒否されたわけでもないことを知るべきだ。

それは欲しくありませんが、あなたと明日からも普通に挨拶をしますという人と、プレゼントを受け取ってもらえなかったから傷ついた、あんな奴は明日から無視してやると怒りに身を沈める人と、どちらが付き合いやすいのか。

何かを誰かにプレゼントすることは、リスキーな行為なのだ。

その複雑さを見ようともしないから、単純に好意だけで恐ろしく軽く行動してしまう。

それを理解せず、自分だけの一方的な好意に酔って、認められない場合は攻撃性を発露する、そんな感謝乞食とは距離を置きたいと思われても仕方ない。

なぜそんなに上から目線なのか。

また、与えるが自分は一切お礼を受け取らない人もいる。
また、くだらないものを配りまくって、お礼が無いと怒る人もいる。

もう一回言おう。

し ら ん が な 。

受け取らない権利

贈り物はいらない。

あなたの好意も、いらない。

「受け取らない権利」が誰にでもある。

感謝乞食にはうんざりだ。