百花

https://hyakka-movie.toho.co.jp/


 映像全般が滲んだように見えました。この映画を見終わってから振り返って考えてみると、この「滲み」が作品全体の通奏低音のように思います。「覚えている記憶」または「残る記憶」と、「消えてゆく記憶」または「消えた記憶」。両者の境界はなんなのだろうか? どこなのだろうか? その境界線はくっきりしたものではなく滲んでいるもの、ということなのかもしれません。
 百花という言葉を帰宅してから調べて見ました。『いろいろな花、多くの花』と書いてありました。花、花、花。なるほど、いいタイトルにしてありますね。見終わった後の余韻が心地よい、そんな作品です。
 諏訪湖の花火の華麗さも味わってほしいと思います。

http://www.suwafc.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?