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運の強い人

何度も危ない目に会いながらも、しぶとく生き残っている運の強い人がいるものだ。

我々の上の世代では、ほとんどが戦争に行ったので「部隊は壊滅したが自分はどうにか残った」などという話はいくらでもあった。古河系のある会社にも、駆逐艦が沈められてから九時間波間に浮かんでいて助かった人がいた。一緒に飲んだ時に詳しい話を聞いたことがある。体力気力ともに尽きて、ずるっと沈んでゆく戦友と彼を分けたものは、ほんの僅かな運で、大波が、つかまっていた流木のどこを揺らしたかで、振り落とされる者と辛くもしがみついていた人と明暗が分かれたそうだ。

「よほど運が強かったのですね」と言うと、意外なことに「それは違う」と言った。

彼は、偶然に助けられたが、運は良くなかったと付け加えた。「本当に運が強いのであれば、そもそも、そのような危険な戦場にすら行かない。行ったとしても艦が沈められるところまでは行かないのだ。」と言う解釈であった。「危ない目に会うこと自体が、運が強くない証拠」なのである。

それから、「あわや」と言う場面の講釈になって、当時活躍していたプロ野球の名手の評価になった。ショートを守らせたら、史上類が無いとまで詠われた小柄な選手だったが、地味なプレーが持ち味で、大衆受けはしないタイプだった。その代わり、玄人好みというか、渋い守りの熱狂的なファンが少なくなく、脇役として欠かせない存在だった。その選手を評して「あいつは、危ない目にすら会わない守備をしている」と誉めた。

ピッチャーが投球動作に入ると、打球を予測して一歩動く。球筋を見極めて微調整をしながらそこで留まるか、更に位置を進めるかを判断し、投げ終わったころには来るはずの打球を待っている。従って、二三塁間に飛んだボールはたいてい彼の守備範囲に入ってしまう。無難に捕球して一塁へ投げるので、堅実極まりない。だが、派手さは無いから素人目には面白くも何ともない。「下手なショートはギリギリで取って投げるので、ファインプレーに見えやすい」と笑った。

九回裏で八点差をひっくり返したような試合は、実に面白い。野球の醍醐味ですらある。

しかし、その人は「そもそも九回までに八点も取られたことが問題だ」と言う思想である。彼自身は、確実な仕事ぶりを高く評価されていたが、あまり出世しなかった。

どうも世間は、あぶなっかしくても面白い方が好きなのだ、と思う。強運に見えて、実はめぐり合わせの悪い人に親近感を持つのである。

#運 #野球 #試合

 

 

 

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