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2023/05/25

インスタに投稿したもの。

ヤマもオチも意味もない、ただの書き散らし

なんか一人でいると特にオチのないことを思い悩んでしまうし、仕事は未だに怖いし、自炊もろくに出来てないし、相変わらずお金は無いし、どうしようもなく気分と体調の波がある中で5/25 a.m.2:00現在は躁だなと思っている。いま。

めっちゃ健康的な時間に布団に入ったのに結局不健康な時間に目覚めてスマホ触ってるの悲しいな、と思った、けど、今日はオチのない落ち込み(ダジャレ)をせずに1200%楽しい思い出を振り返ってこのまま眠れそうなので良しとする。

私はたまに「大人しそうに見えて別に大人しくは無い」と言われる。この前は配属先の同期が私含めて2人いることに対して、「2人のうち静かじゃない方が古武さんだって聞いた!」と言われた。笑う。その通りです。そんな紹介をしたのは誰だ。笑

元々の私はきっと「気が使えなくて空気も読めない、ちょっとバカだけど勉強はできるし明るくていい子」だった。12歳くらいまで。中学に入ってやっと「空気を読む」ことを覚えたような気がする。中一で入ったバスケ部で先輩から最悪の洗礼を受け、自らトラブルを起こして辞め、吹奏楽部に途中入部して先輩にめっちゃ可愛がってもらったのはいいけど同期とは微妙に馴染めず、勉強も追いつけなくなって中三で不登校になった。
多分、空気を読むのがしんどかった。微妙に馴染めない中で空気を読んで必死に周りに合わせ続けた。みんなの顔色を伺うようになった。みんなは私の顔色なんて伺ってくれないのに、私はみんなが少しでも嫌な思いをしないように気にしていた。そのギャップがしんどかった。ギャップがあると当時は思っていた。きっと15歳なんて、私も含めてみんなまだまだ子どもだった。

不登校期間で親との関係が最悪になる瞬間が何度もあり、私はいよいよ病んだ。私が病んでたから親もイライラしてたのかもしれない。わからない。どっちが先かなんて今は割とどうでもいい。

大学四年間のうち後半三年間はほぼぼっちで過ごした。本当に一人で行って一人で過ごして一人で帰ってきた。結構気が楽で、元気な時はそれが楽しかった。私はこの頃にはもうすっかり「大人しそうに見える人」になっていた。「空気が読めなくて明るくて馬鹿な自分」は心の奥底の方に沈めて隠していた。そんな態度で生きていたらまたトラブルになると、怯えていた。

(続く)

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