俺だって米津玄師になりたかった
「こんな最高な曲、どうしてもっと早く聴かなかったんだ」
ある日の夜、米津玄師の「アイネクライネ」を聴いた瞬間に俺はそう思い、今まで「米津玄師」を聴いてなかった分の空白を埋めるかのように、何度も何度も「アイネクライネ」のMVをYouTubeで再生していた。
「米津玄師」と書いて「よねづ けんし」と読む。本名。もう名前からして「ただ者ではない雰囲気」が漂っている。
1991年生まれの米津玄師は、俺とほぼ同い年で同世代。
高校生の頃に動画サイトが流行り始めた世代といった感覚がある。動画サイトを熱心に見ていなかった俺ですらも、思えばあの頃から「初音ミク」や「ボーカロイド」なんて単語をちょっと見聞きするようになっていた気がする。
正直、後からわかったことなのだけれど、あまりボカロ曲全般に詳しくない俺が唯一知っていて好きな曲「マトリョシカ」「パンダヒーロー」も、米津玄師が「ハチ」名義で投稿していた曲らしい。
つまり知らぬ間に米津玄師の曲にハマっていたのだ。
映画「何者」を見に、映画館へ行ったあの日、エンドロールと共に流れてきた曲は、米津玄師が中田ヤスタカとコラボした「NANIMONO」だった。
映画といえば、2017年に公開された「打上花火、下から見るか?横から見るか?」の主題歌も、米津玄師が作詞・作曲・プロデュースした名曲「打上花火」だった。
DAOKOとコラボしたこの曲は、一躍DAOKOと米津玄師の知名度を上げたと思う。
今まで、DAOKOや米津玄師を知らなかった或いは聴かなかった人々も耳を傾けるようになったと思うからだ。
地上波の音楽番組や朝のニュースにもDAOKOの「打上花火」が取り上げられた。
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」も映画館で見た、青春時代特有の無邪気さと甘酸っぱいだけじゃないほろ苦さに打ちのめされた。
エンドロールで流れてくる「打上花火」は、映画を見終えて現実に戻ろうとする自分と、物語の余韻に浸っていたい自分の狭間を揺らぐ波のように心に響いていた。
中田ヤスタカ、DAOKOという要素はあるが、俺は映画館で米津玄師の曲を聴いていた事になる。
「米津玄師、そろそろ聴くか?まだ聴かないのか?」
その自問自答はずっとあった。
米津玄師は「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」で主人公の声優を担当した俳優「菅田将暉」とコラボレーションした名曲「灰色と青」を世に放った。
これまで「米津玄師いいよ」とオススメされたことも何度かあった。
どれだけ米津玄師をオススメされようとも、聴けないでいた。
今さら米津玄師の曲が好きだと叫ぶにはあまりに全てが遅すぎただろうか。
聴いたら絶対にハマる予感はあった。
だけれどなかなか聴けないでいた。
それは予感と同時に「米津玄師」という同世代の圧倒的才能とカリスマへの複雑な感情があったからだ。
Wikipediaによると、米津玄師は影響を受けた音楽として、BUMP OF CHICKEN、アジカン、RADWIMPSを挙げている。
わかる、もう超わかりまくる。
あの世代で、BUMP OF CHICKEN、アジカン、RADWIMPSを聴いて影響を受けない人なんて皆無だと思う。
中学生の頃にBUMP OF CHICKENとアジカンを聴いてガッツリと影響を受け、心酔していた俺だからこそ気持ちはわかる。
初めて聴いた「オンリーロンリーグローリー」友達の家に遊びに行った時に聴いて衝撃を受け、帰り道一人歌詞を忘れたくないからブツブツと口ずさみながら歩いた「グロリアスレボリューション」
当時大ヒットしたドラマ「野ブタをプロデュース」の放送中にゲームのCMと共に流れた「カルマ」
高校受験が終わった頃、受験勉強を頑張った自分へのご褒美として近所のTSUTAYAへBUMP OF CHICKENのアルバム「FLAMEVINE+1」を買いに行ったあの日の夕方をまだ覚えている。
俺の青春時代にBUMP OF CHICKENの音楽は必要不可欠だった。
高校生の頃は「アジカン」の音楽に何度救われたことか。
「或る街の群青」や「絵画教室」を聴けば、通学路の風景がふと浮かぶ。
「ブラックアウト」も「ブルートレイン」も「電波塔」も。
爽やかなだけじゃない、鋭さと青さが心地よかった。
たまたま見かけた音楽雑誌、「新星、爆発!」と書かれたその表紙にはRADWIMPSなるロックバンドが載っていた。
RADWIMPSの「ふたりごと」って曲がいいよ、とたしか高校生の頃に誰かが言っていた。
その新星が、彗星をキーワードにしたあの映画の主題歌「前前前世」で国民的ロックバンドになる遥か前の話である。RADWIMPSの「有心論」「揶揄」「へっくしゅん」を聴いたあの衝撃は忘れ難い。
BUMP OF CHICKEN。
ASIAN KUNG-FU GENERATION。
RADWIMPS。
血肉となり影響を受けたロックバンドは同じ。
同じだからこそ、同世代だからこそ、米津玄師の曲はなかなか聴けないでいた。
だがある日「アイネクライネ」を聴いたのを皮切りに、米津玄師の曲を聴きたい!聴こう!という気持ちが芽生えた。
「砂の惑星」「メランコリーキッチン」「LOSER」どストライクな曲を聴いて「やっぱり好きだわー米津玄師の曲」と思っていた。
思いながらも「嫉妬や妬みにも似た米津玄師への複雑な気持ち」は消えないでいた。
ある日、本屋で見つけた『EYESCREAM』という本の表紙が米津玄師だった。
それを見て米津玄師への「同世代でBUMPOFCHICKENやアジカンが好きで~」という複雑な気持ちが消し飛んだ。
「あ、でもやっぱり俺と米津玄師じゃ全然違う」と思い、気持ちが軽くなった。
透き通った気持ちで聴く米津玄師の「アイネクライネ」は、今まで以上にクリアに心に響いたのは気のせいだろうか。
多感な中学生の頃、BUMP OF CHICKENやアジカンにガッツリと影響を受け、楽器は演奏出来ないからと頭の中で「ナチュラル・カプサイシン・キラーズ」というバンドを考え、誰に発表するわけでもなくプリントの裏やノートに歌詞だけを書いていたあの頃の俺は、米津玄師にはなれない。「アンダーライト」「十六夜エモーション」曲名だけはちょっと米津玄師らしいか?
いや遠く及ばない。
今思い返せば、歌詞だけじゃ飽きたらずアルバムのジャケットまで描いていた。
ちなみに「これで最後だ!ナチュラル・カプサイシン・キラーズ」と書いた記憶があるから、残念ながらナチュラル・カプサイシン・キラーズは解散している。
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